京都府京田辺市の古墳


飯岡古墳群

 京田辺市の木津川左岸にある独立丘陵の飯岡山一帯にある古墳群で、前期から後期までバラエティに富んでいます。丘陵は農地や住宅の開発が進んでいますが、古墳群は比較的良好に保存されています。西端にある飯岡車塚古墳(飯岡西原16-1)は四世紀後半の前方後円墳で、全長90m、後円部径60m、市内最大の古墳です。明治時代に発掘され、竪穴式石室から玉類、石製品などが出土しています。中央のピークにあるゴロゴロ山古墳(飯岡中峯38)は径60mの中期の大型円墳で、前方後円墳とする説もありますが未調査です。すぐ東にある薬師山古墳(飯岡中峯)は五世紀の径38mの円墳です。東端の咋岡神社東の竹林にあるトヅカ古墳(飯岡小山)は径20mの円墳で、明治時代に竪穴式石室が調査され、現在石材の一部が露出しています。南東端の送電塔すぐ下の果樹園となりに飯岡横穴(飯岡久保田6)があります。花崗岩の地山を削って造られていて、玄室は4.1m×2.3m×1.5m、羨道幅1m、平安時代に再利用されたようです。

飯岡車塚古墳

ゴロゴロ山古墳

薬師山古墳

トヅカ古墳

飯岡横穴

飯岡横穴内部


下司古墳群

 京田辺市多々羅の同志社大学田辺校地内にあり、8基の古墳が現地保存されて、現在は考古学の学生さんの石室実測図作成実習に使用されています。場所はデイヴィス記念館の南側にありますが、大学守衛室で古墳群の場所を尋ねると、全然関係ない筒城宮推定地の場所を教えられてしまうので注意してください(n=2)。古墳はすべて七世紀前半頃に造営された南に開口する横穴式石室墳で、墳丘はほとんど残っていません。

 

 1号墳

 径24mの最大の円墳で、横穴式石室は南山城最大級、全長10.55m、玄室長3.55m、幅2.05m、高さ2.1m、羨道長7m、幅1.8mの両袖式です。石材はすべて生駒産出の斑れい岩で表面を平滑に加工していて、終末期らしさを感じます。玄室には七世紀前半の陶棺が置かれ、羨道には七世紀後半の木棺が追葬されました。

石室正面

玄室

奧から

左側壁

 2号墳

 径14mの円墳で、横穴式石室は全長7.4m、玄室長2.75m、幅1.6m、高さ1.8m、羨道長4.65m、幅1.25mの両袖式です。石材はほとんど斑れい岩で表面を平滑に加工しています。玄室には木棺が置かれていました。

石室正面

玄室奥壁

奧から

左側壁

 3〜7号墳

 2号墳の隣にある3号墳は径15mの円墳で、石室は埋め戻されて石材が一部見えています。4号墳は径15mの円墳で、石室は石材を抜き取られた跡が大きく窪んでいます。6号墳は2.45m×0.85mの無袖式石室だけが露出しています。5、7号墳は説明板と京都府遺跡地図とで位置が入れ替わっていて不確定ですが、5号墳は3.85m×1.1mの無袖式石室、7号墳は全長4.1m、玄室2.3m×1.4mの両袖式です。8号墳は薮の中に保存されています。

3号墳

4号墳

おそらく5号墳

6号墳

たぶん7号墳


堀切古墳群

 京田辺市薪堀切谷、薪小学校周辺の丘陵に分布する群集墳で、後期の円墳10基、横穴墓10基からなりますが、すでに7〜9号墳と横穴墓群は学校建設で消滅しています(小学校に説明板あり)。近年開発が進み、宅地造成などで発掘調査が随時行われ、残りの古墳も急速に消滅しつつあります。1号墳は2005年に調査され、径22mの円墳で主体部は横穴式石室でした。全長9m、玄室長4.7m、幅1.75m、推定高さ2m以上、羨道長4.3m、幅1mの両袖式で、さらに前庭部がつきます。床面には排水溝があり、礫床に家形石棺の破片が見つかりました。

1号墳石室

1号墳墳丘

 2007年に調査された11号墳は径11m以上の円墳で、横穴式石室は羨道付近しか残っていませんが、全長10m、玄室長6.6mの大きな石室と想定されます。土師質亀甲形陶棺の破片が見つかっています。

11号墳の石室の羨道部

出土した土師質亀甲形陶棺


大住車塚古墳、大住南塚古墳 【国史跡】

 京田辺市大住、京奈和自動車道田辺北ICの西600mの県道交差点にあり、二基の大きな古墳が長軸を平行にして並んでいます。北側の大住車塚(チコンジ山)古墳は全長66m、後方部一辺30mの前方後方墳で、墳丘は二段築成、長方形の周濠跡も含め保存状態は良好です。五世紀初め頃の築造です。南側の大住南塚古墳は京都府遺跡地図では前方後円墳となっていますが、1987年の調査で同じ前方後方墳と判明しました。全長71m、後方部一辺37m、周囲には農地が周濠状に残っています。四世紀終わり頃の築造で、こちらが先に築かれたと思われます。ともに葺石、埴輪を持つ同規模の前方後方墳が隣接している貴重な古墳群です。車塚が国史跡です。

大住車塚古墳

大住南塚古墳


口仲谷古墳群

 

 京田辺市松井宮田54-1、第二京阪道路京田辺松井ICの東隣りの尾根先端にあります。京都府遺跡地図には4基の古墳が記されていますが、第二京阪道の関連工事による踏査で13基に増え、そのうち5、6、7号墳が府道の付け替え工事で消滅。2012年に残りの古墳が調査されました。このうち、12号墳は自然地形で、8、9号墳は本来1基の古墳と判明。。10号墳で1基、2号墳で2基の木棺直葬の痕跡が見つかりました。しかし、それ以外の古墳はほとんど削平されていました。周辺は横穴墓が多く分布する山の中で、見通しも利かないこの場所に、小円墳群を築いた一族のささやかな見栄というものを感じます。

1号墳、ほとんど削平

2号墳、木棺直葬2基

左3号墳、右4号墳

13号墳、ほとんど削平


松井横穴群

 京田辺市松井、推定300基以上からなる関西最大の横穴墓群です。2015年に新名神高速道路の建設予定地が初めて本格的に調査され、70基の横穴墓が検出されました。横穴は尾根の両側に同じ標高で並んでいて、奥行き3〜13mの大きさで水平方向に掘られていました。武器類が副葬されていないため、支配者層ではなく、有力農民の共同墓地ではないかと思われます。

第12トレンチ

第12トレンチの右から5、6、7号墓

第12トレンチの尾根の反対側第1トレンチ

ずらりと水平に横穴墓が並んだ第1トレンチ

第2トレンチ

第2トレンチ、右から1、3、5号墓

第2トレンチの尾根の反対側の第4トレンチ

第4トレンチ左から3、4号墓


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