京都府京丹波町(旧丹波町・瑞穂町)の古墳


宮の浦古墳群

 旧丹波町大字曽根字宮の浦の田圃の真ん中に1、2号墳が並んでいます。1号墳は町指定史跡の径25mの大きな円墳ですが、裾を一部削られています。横穴式石室が一見、普通に開口しているように見えますが、これは奥壁側で、しかも石材が抜かれて、扉が付けられています。全長11.8m、玄室長4.1m、幅2mの片袖式で、羨道はほとんど埋まっています。チャートをあまり加工せずに積み上げ、天井石はかなりの巨石です。

奥壁側が開口、扉付き

玄室を奧から

羨道を奧から

玄室奥壁方向

 すぐ北側にある2号墳は径11mの円墳ですが、かなり変形してしまっています。墳丘上には横穴式石室の石材がいくつか露出しています。

2号墳

2号墳の露出石材

塩谷古墳群

 町指定史跡。旧丹波町大字曽根字塩谷33、宮の浦古墳群から県道をはさんで南側に、公園化された丘陵が見えていますが、ここが塩谷古墳群です。1988年に土取りの事前調査で発見されました。五世紀末〜六世紀前半の12基の円墳からなります。最大の5号墳は径15.5mの円墳で、巫女形の人物埴輪二体が出土しました。中期の群集墳がほぼ完全に残されていた貴重な遺跡であるため、調査後は塩谷古墳公園として保存整備されています。

古墳の分布図

手前から2〜5号墳

巫女形埴輪が出土した5号墳

6号墳

塩谷南古墳群

 町史跡・塩谷古墳群から谷間を挟んで南となりの尾根上にあります。丹波綾部道路の予定地内の調査で、発見されました。調査された古墳は径15mの円墳で、南北に墳丘を区画する溝が掘られています。埋葬施設は2基あり、第一主体部は3.7m×1.8mの墓坑に2.2m×0.65m×0.3mの割竹形木棺が納められていました。内部はベンガラが塗られ、鉄鏃が1個見つかりました。第二主体部は3.7m×1.6mの墓坑に2.6m×0.55mの組合せ式木棺が納められ、長さ0.95mの鉄刀と鉄製刀子が副葬されていました。西側にはテラス状の段を設け、その上には、須恵器の壷の周りに7個の蓋付き高坏が並べられていました。すぐ北側の塩谷古墳群とほぼ同じ六世紀初頭の築造と思われ、密接な関係が想定されます。

完存する墳丘と溝、右奧に塩谷古墳群

 

第一主体部

第二主体部

第二主体部に備えられていた須恵器の並べ方

森狐塚古墳

 旧丹波町大字森字白井、塩谷古墳群から府道444号線を西へ500m進み、交差点を南へ曲がって400mで、道路沿い西側に竹薮があります。小さな斜面を登って竹薮の中へ入ると、すぐに墳丘があります。径15mの円墳で、墳丘上には、横穴式石室の天井石が露出しています。

左の竹薮の中にある

天井石が露出


中島古墳

 旧瑞穂町大字中台字中島、県道444号線中台交差点から南へ進み、400mほどで、左の谷間へ降りていくと、右前方の整備された農地の中に墳丘が見えています。径10mの円墳で、主体部は全長4.8m以上、幅1.8mの横穴式石室ですが、現在は埋め戻されていて、天井石が露出しています。

農地の中にあり、見通しは良い

天井石が露出


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