熊本県宇城市東部(旧松橋町・小川町)の古墳


宇賀岳古墳 【県史跡】【装飾古墳】

 旧松橋町松山、岡岳山頂(岡岳総合グラウンド)にあります。周囲は公園化されていますが、その公園工事で墳丘が削られたとか・・・。現状の復元墳丘も本来の姿かどうかはわかりません。主体部も崩壊していましたが、石棺式石室に近い横穴式石室として復元されています。玄室長2.4m、幅1.95m、羨道長0.8m、幅1.3m。三枚の巨石で玄室を囲み、大小二枚の天井石が架けられていました。奥壁上部には二個の小突起の基部が残っています。装飾は奥壁、両側壁に円紋、連続三角紋、平行紋が線刻で全面に描かれ、その上から濃い赤、薄い赤、緑色で彩色されています。保存状態は良くなく、奥壁は何とか見える程度、両側壁は視角も悪く、ほとんどわかりません。最近、一斉公開日に公開されるようになりました。

復元墳丘

羨道から玄室方向

玄室奥壁、小突起二個が残る

右側壁、装飾まったくわからず

左側壁、装飾まったくわからず

奥壁中央の装飾拡大


松橋大塚古墳 【市史跡】

 旧松橋町松橋、下益城郡医師会館のとなりにあり、大塚公園となっています。台地上に築かれた全長79mの前方後円墳で、後円部径45m、前方部幅28m、前方部は削平され、後円部のみ盛り土が残っています。後円部上の石碑が崩壊していますが、熊本地震のせいでしょうか?

後円部

後円部から削平された前方部


池尾古墳 【市史跡】

 旧松橋町古保山字池尾1336、古保山コミュニティセンターのすぐ東の道路沿いにあります。現状で径8mの円墳で、説明板には雁回山南麓古墳群に属すると書かれていますが、詳細不明。須恵器片が採集されており、六世紀以後の築造と推定されています。

 


大道夫婦塚男古墳、大道夫婦塚女古墳 【市史跡】

 旧松橋町古保山、九州道のそばに道路を挟んで2基の古墳があります。東側の男塚は径18mの円墳で、周囲をかなり削られています。西側の女塚は径10mの円墳で、墳丘はかなり変形しています。ともに六世紀以降の築造で、池尾古墳と同じく雁回山南麓古墳群に属します。

男塚

女塚


女夫塚(雄塚)古墳 【市史跡】

 旧松橋町古保山、宇土市スポーツセンターすぐ東側の道路沿いにあります。南側はグラウンドです。全長45m、後円部径25m、前方部幅23mの前方後円墳ですが、昭和32年に、道路工事の際、無断で採土され、現在北側が大きく削られています。その時、巨石が掘り出されたとされています。ここも雁回山南麓古墳群に属します。

グラウンド側、地表が掘り下げられ高く見える

県道側、おおきく陥没


豊福古墳 【市史跡】

 旧松橋町豊福、アヤックス松橋工場の南隣の雑木林の中にあり、工場の建物に隣接しています。サンビレッジ六番館の側から接近すると、道沿いに説明板があり、そこから工場の建物に沿って林の中を進んだ所にあります。墳丘は失われ、大型の横穴式石室が露出しています。玄室は巨大な天井石が落ち込んでいて、他の天井石や側壁の一部も崩壊しています。

石室正面

玄室、巨大な天井石が落下

右側壁の袖石付近

天井石の上より、羨道をみる


年の神古墳 【市史跡】

 旧松橋町竹崎、677番地の民家の裏にあります。この辺りは、あの蒙古襲来絵詞の主役・竹崎季長の出身地です。古墳は封土がまったく無くなり、横穴式石室の側壁などが露出しています。石灰岩の巨石で築かれ、側壁材は一部切石風に加工しています。

田圃の中に石室露出

玄室正面

玄室奧側から


年の神古墳群 【市史跡】

 同じ宇城市内、旧小川町北小野にも年の神古墳があります。2基からなり、1号墳は県道312号線を吉田商店のところで東に曲がり、すぐ次の角を左に曲がると、目の前にあります。墳丘はほとんどなく、横穴式石室が露出しています。玄門は巨石二枚をくり抜き風に組合せ、玄室内には仕切石で屍床3基を作り付けています。奧側の天井石が一段下がっています。

道路沿いにある

玄門

玄室内部、屍床3基

 元の道に戻って、さらに東へ進み、九州道の手前で民家脇の小道を左に入っていくと、2号墳(鬼の岩屋)の覆屋が見えてきます。崩壊した横穴式石室が露出。玄室はここも仕切石で屍床3基を作り付けています。

九州道沿いにある2号墳

玄室、屍床三基

玄室側面から


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