長野県松本市中山古墳群の古墳
◆中山古墳群
松本市中山の中山霊園内とその周辺に分布する古墳群を総称して中山古墳群と呼ばれています。
■中山15号墳(鍬形原古墳群) 【管理人推薦】【松本市特別史跡】
中山霊園内の中心にある15号墳は築造当時の姿に復元保存されています。一辺20mの南向き斜面に築かれた方墳で、周濠が巡り、墳丘裾には外護列石が設けられています。横穴式石室は前庭部を持ち、玄室長4.8m、羨道長2.6m、幅1.8m、高さ1.8mの無袖式で玄室は立柱石で前後二室に分かれ、羨道とは、袖石で区分されています。
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15号墳の西100mに16号墳があります。径20mの円墳で、調査時、羨道と天井部を失った横穴式石室が露出していました。現在は全体が盛り土で保護されています。さらに西100mの外周道路沿いに49号墳があります。径15mほどの円墳の積石塚で、横穴式石室の基底部が露出しています。
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霊園の北側中央の庭園脇に17号墳があります。径8mほどの円墳で、積石塚と思われます。中央部には石室跡らしい陥没があります。北端の駐車場近くの林の中に18号墳があります。墳丘はまったくなく、石材がいくつか見えている程度です。
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15号墳の北100mの園路沿いにあります。横穴式石室の下部が露出しています。状態は良く、入口部の石組みは閉塞石でしょうか?
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霊園の麓近く、新しく造成された7号聖域にあります。霊園拡張工事で発見され、すでに墳丘は無くなっていましたが、横穴式石室の一部が残っていました。石室は当初、長さ2.6m、幅2.8mの正方形に近いプランで築かれましたが、築造途中で中央に新たな側壁を設けて西側壁との長方形プランに変更されていました。東側壁は未完成のまま埋められた状態だったと考えられます。石室は珍しい構造だったため、現在は埋め戻して保存されています。
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中山霊園の南にある中山保育園から川沿いに西へ続く林の中に向畑古墳群が分布しています。保育園北に1号墳、西に2、3、40号墳がありますが、いずれも薮に覆われて見学困難です。
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中山幼稚園付近から西へ道路を下っていくと、道路沿いに5、6号墳があります。いずれも径10mほどの円墳で、道路により墳丘が一部削られています。その西の分岐路の竹林の中に7号墳があります。墳丘は良く残っていそうです。分岐路を左へ100m進んだ右側の竹林の中に8号墳があります。わずかに墳丘が残る程度です。
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8号墳の西の民家に環に9号墳があります。築山で飾られ、庭園化しています。少し南にはずれた田圃の中に10号墳があります。墳丘上の鳥居が目印です。墳頂にある祠の下の石材は石室材かもしれません。
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松本市立考古博物館の北500m、県道63号東側の中山文庫の隣りに中山22号墳があります。薮に覆われていますが径8mほどの円墳と思われます。さらに150m北の県道西側に小丸山古墳があります。径15mほどの円墳で、きれいな墳丘が残っています。墳丘には石材が少し見えています。22号墳の東150mには中山21号墳があります。墳丘上には石材が散乱しています。
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松本市立考古博物館の東300m、県道63号から東へ登っていく道の途中に小山下古墳があります。薮に覆われた径10mほどの円墳で、道側に石材が露出しています。小山下古墳の北東200mには竹林に覆われた埴原古墳があります。径10mほどの円墳で。墳丘はわりと残っていそうです。一部に石材が散乱しています。
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松本市並柳、中山丘陵、弘法山の北端にあり、松本を代表する桜の名所として有名です。1974年の調査で全長66m、後方部幅47m、前方部幅22mの前方後方墳と判明しました。埴輪はなく、葺石もほとんどありません。埋葬施設は後方部墳頂に河原石で築かれた竪穴式石室です。長さ5m、幅1.3m、深さ0.93mの大きさで、石室内は黒土で堅く締められ、天井石は無かったと思われます。副葬品【長野県宝】は四獣紋鏡、銅鏃、鉄剣、勾玉、ガラス小玉、鉄斧、鉄鏃、S字状口淵台付甕が出土し、松本市立考古博物館に保管されています。三世紀末〜四世紀中頃の県内でも最古級の古墳と考えられます。
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