三重県松阪市東部の古墳


松阪城跡石棺群 【国史跡】

 松阪市殿町、国史跡・松阪城跡は1588年に蒲生氏郷によって築かれ、当時の石垣が良好に残っています。城内の石垣の中には三ヶ所に古墳の石棺が確認できます。天守台に二基、鐘の櫓の石段に一基あり、いずれも家形石棺の蓋と思われます。

天守台の1基、くり込みが良好に残る

横から

天守台のもう1基、南隅の最上部

石垣の下からは蔦で見えない

鐘の櫓の石段の1基

横から


宝塚古墳群 【管理人推薦】【国史跡】

 松阪市宝塚町、現在宝塚古墳公園として整備公開されています。1号墳は全長95mの前方後円墳で土橋付きの造り出しから大型の船形埴輪や囲形埴輪などが出土し、話題になりました。2号墳は全長72mの帆立貝式古墳です。

1号墳から出土した日本最大の船形埴輪

1号墳造り出し部の船形埴輪の出土状況

整備された1号墳

1号墳造り出し

2号墳の現地説明会


東山古墳群 【市史跡】

 立野町の中部台運動公園の入り口左の丘の上一帯にある11基からなる六世紀の古墳群で、フィールドアスレチック場となっているため、古墳見学と同時にスポーツもできるというまことに健康的な古墳群です。9号墳のみ消滅していますが、ほかの墳丘もかなり低いマウンドばかりで、8号墳が横穴式石室である他は主体部は不明です。

 


立野古墳群

 同じく中部台運動公園に隣接した水道タンクがある丘陵上を中心に20基からなる古墳群ですが、丘陵内は立入禁止で、見学可能なのは「みえこどもの城」の前に保存されている9号墳のみです。

 2013年に、水道タンクの立て替えに伴い、4基の古墳が調査され、一般公開されました。このうち4号墳は18.4mの円墳で、周溝から出土した須恵器から六世紀後半の築造と判明しました。主体部は削られている可能性が高いですが、今後調査されます。17号墳は調査で径6mの古墳と判明。周溝から出土した須恵器は七世紀頃のものです。2、3号墳は周溝の一部のみの調査されています。また、3号墳の南側に長さ1mほどの小石室が新たに見つかりました。他の古墳との関連は不明です。

2号墳

3号墳

4号墳

17号墳

小石室


鳥ケ谷古墳群

 松阪市立野町、運動公園の南西500m、松尾神社のある山の南西麓にある2基の後期古墳群です。大規模な土砂採取場の南にオリエンテーリングコースとなっている小道があり、西へ300mほど進んで山にぶつかって左へ回ったところに2号墳の墳丘が道沿いにあります。石材が抜かれた跡があります。その左上30mに1号墳の石室が露出しています。急斜面にあり、墳丘が不明確ですが、奥壁と側壁の一部が残っています。小型の石材を積みあげ、持ち送りが見られます。

1号墳石室

1号墳石室を真上から見たところ

2号墳


久保古墳 【県史跡】

 久保町草山1170、パークタウン学園前団地の中に、史跡公園として保存されています。径52.5m、高さ6m、二段築成の大型円墳です。北西側に神社があり、やや改変されていますが、それ以外は良好に残っています。明治時代に盗掘され、三角縁神獣鏡が出土しました。四世紀後半頃の築造で、伊勢地方最古級の首長墓です。

良好に残る墳丘

墳丘の北西側に神社がある


こうもり穴(庄)古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 庄の集落の北側の山の南斜面にあります。径16.5mの円墳で、開口する横穴式石室は全長8m、玄室長7m、奥壁幅1.7m、推定高3mの細長い玄室を持ち、片袖式です。

開口部

奥壁、石材はかなり小さい

玄門部


弁天窟古墳

 松阪市の東南端、中万町の櫛田川と支流の孫川が合流する地点に近い尾根先端にありますが、現在古墳周辺は大規模な土取りが行われ、墳丘が周囲を削られて、かろうじて残されている状態です。見学は日曜日にこっそりとするしかありません。横穴式石室が薮の中に残っており、羨道は天井石が落ち込んでいますが、天井部が開口。全長8.4m、玄室長4.8m、幅2.4m、高さ2.6m以上、羨道幅2.2mの右片袖式で、側壁、奥壁の上部が、ドーム状に持ち送られている特徴的な構造をしています。玄室内にはいつのころからか、弁天様が祭られています。

墳丘はかろうじて保存されている

弁天様がまつられた玄室奥壁

玄門部

奥壁上部、ドーム状に持ち送る


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