三重県明和町の古墳


塚山古墳群

 明和町の斎宮博物館敷地内、および周辺に分布する群集墳で、五世紀末〜六世紀前半に築かれ、円墳と方墳が混在しています。42基確認されていますが、現存13基です。

  分布図

1号墳、博物館の裏にある円墳

2号墳、博物館前にある方墳、周濠が巡る

3号墳、道路を挟んで向いの林の中にある径18mの円墳

林の奥の古墳群


坂本古墳群

 

 県史跡。明和町坂本、県道707号線沿いにあります。元124基存在したらしいですが、ほとんど開墾で破壊され、現存するのは交差点付近にある6基です。南端にある1号墳は最も保存がよい前方後方墳で、全長31.2m、前方部長11m、高さ2.6m、後方部幅19m、高さ4.6mの規模です。発掘調査で、周溝が見つかっています。墓坑に木棺が納められ、金銅装頭椎大刀が副葬されていました。北隣の2号墳は13×11.5mの方墳、その隣の3号墳は12.8×11.4mの方墳、さらに北側の4号墳は道沿いの小方墳ですが、いずれも低いマウンドが残る程度です。北端の標識のそばにある5号墳は改変が激しく、平面形は不明です。その南側、林の中にある6号墳は一辺16m、高さ1.5mの方墳で、調査では周溝が全周していないことがわかりました。

1号墳、前方後方墳、右が前方部

1号墳から見た2、3号墳、奧の林の中に6号墳がある

手前が3号墳、奧に2、1号墳

4号墳

5号墳

6号墳


寺山1号墳

 明和町馬之上、隆子女王墓として宮内庁が管理しています。径12m、高さ2mの円墳で、周囲の生け垣の隙間からわずかに墳丘を望むことができます。周溝があるようです。隆子女王は醍醐天皇の孫娘で、十世紀に斎王となった女性です。

陵墓として管理されている

隙間から見える墳丘


発シ2号墳 【町史跡】

 明和町有爾中、暁幼稚園の北側の墓地の最奧にあります。丘陵裾に築かれた径10mの円墳で、墳丘の状態は良さそうです。元、6基あったうち、残っているのはこの2号墳だけです。説明板によると、惇子内親王墓伝承地とされています。惇子内親王は後白河天皇の娘で、十二世紀に斎王となった女性です。

墓地の反対側に説明板がある

墓地側から


かまくら1号墳

 明和町上村、上村集落の中にあり、墳丘上に神社が建っています。径27mの大きな円墳で上部は平らに削られています。かつて出土した遺物から五世紀後半の築造と思われます。

 


明星古墳群

 明和町明星、明星苑団地内の古墳公園にあります。元々は狭い範囲に12基の古墳が密集していましたが、そのうちの3基だけが現地保存されました。西端の3号墳は径10mの円墳、中央の2号墳は径5mの円墳で、ともに周りを植栽で囲っています。東端の11号墳(狐塚)は径16.5mの大きな円墳で、地元では伐採が禁じられた場所であったため、ここだけ、元の雑木の状態をそのまま残しています。

古墳公園内に保存された3基の円墳

3号墳

2号墳

11号墳


小金3号墳(三重県明和町池村)

 明和町池村。2008年に宮川用水第二期土地改良事業にともなう調査で、ほぼ完存する横穴式石室が見つかりました。墳丘は周溝を伴う径18mの円墳で、石室は全長8.2m、玄室長4.5m、幅1.1m、高さ1.7mの両袖式ですが、袖部は申し訳程度しかなく、小型の石材を積み上げた非常に細長い石室です。天井が奧ほど高くなっており、これらの特徴は南勢地域の六世紀後半〜七世紀初め頃の石室に良く見られることから、小金3号墳も同時期の築造と推定されます。同じ調査区で高塚4、5、6号墳の調査も行われ、すべて方墳であることが判明しました。

墳丘と周溝

石室開口部

玄室の天井石を外したところ

同時に調査された高塚4号墳、方墳。


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