徳島県美馬市西部(旧美馬町)の古墳


段の塚穴古墳群 【管理人特選】【国史跡】

 左が太鼓塚、右が棚塚

 国史跡「段の塚穴」は、美馬市坊僧363、県道12号線沿いに標識があり、そのすぐ上の河岸段丘縁辺にあります。太鼓塚古墳、棚塚古墳の2基が30mの距離を置いて並んでいて、特に太鼓塚は県下最大の横穴式石室が完存しています。

 太鼓塚古墳

 東西37m、南北33m、高さ8mの円墳で、南に開口する横穴式石室は、全長14.0m、玄室長4.6m、幅2.1〜3.5m、高さ4.4m、羨道長8.4m、幅1.6〜2.3m、高さ2.0mの両袖式で規模は徳島県で最大です。玄門部は長さ1m、幅1.3m、高さ1.8mの規模で、いわゆる段の塚穴型石室の指標となる構造をしています。玄室は胴張り状で、側壁は結晶片岩を平積みして、ゆるやかに持ち送り、天井は前後から天井石を各三枚ずつ斜めに迫り出す穹窿式です。奥壁には、途中に補強のための石梁を組み込んでいます。羨道は手前側でバチ形に開き、奥行き感を演出しています。構造の見事さ、規模の巨大さ、保存状態の良さ、すべてに秀でた、四国を代表する古墳です。

手前側が開いた長い羨道

穹窿式の高い玄室天井

奥壁

奥から玄門部

 棚塚古墳

 径20m、高さ7mの円墳で、南に開口する横穴式石室は、全長8.65m、玄室長4.5m、幅1.95m、高さ3.7m、羨道長4.3m、幅1.1〜1.5m、高さ1.5mの両袖式で、玄室規模は太鼓塚とほぼ同じで、全長は県下七位です。玄室は奥壁側が広がる羽子板状で、側壁は結晶片岩の平積み、天井は前後から天井石各二枚を斜めに迫り出す穹窿式で、太鼓塚よりは持ち送りが緩やかです。奥壁は一枚石をやや前傾させ、すぐ前に石棚を架しています。

羨道は太鼓塚よりは小規模

羨道より玄門部、太鼓塚よりはかなり狭い

奥壁

奥から玄門部


真鍋塚古墳

 美馬市宗重、段の塚穴古墳群の南200mの集落内、魂振神社西50mの民家庭にあり、路地からすぐ塀越しに見えています。現在、この民家は空き家だそうですが、訪問時、近所の人たちが草刈りをしていたので、見学させていただきました。封土はかなり流失していて、現状で径10mほどの円墳です。南に開口する横穴式石室は羨道がほとんど残って居ませんが、玄室長3.9m、幅2.15m、高さ2.3m、羨道長1m以上、幅1.35mの両袖式で、奥壁は低い鏡石のすぐ上から持ち送って穹窿式天井を構築する典型的な「段の塚穴」式です。ほとんど結晶片岩の割石ですが、天井付近で一部砂岩も使用しています。側壁は割石をやや胴張り状に積み、玄門は立石の上に見上げ石を載せたしっかりした造り。七世紀前半の須恵器が出土しています。

路地から

玄門。手前の羨道はかなり破壊されている

玄室奥壁、極端な穹窿式

奥から玄門方向


荒川古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 

 美馬市荒川97、重消東小学校の北西400mの古い公民館の奥にあります。河岸段丘上に築かれた径15mほどの円墳で、墓地内の南向きに横穴式石室が開口。入り口が狭いですが、玄室はわりと広いです。全長8.6m、玄室長3.4m、幅2.64m、高さ3m、羨道幅1.1mの両袖式で、奥壁は結晶片岩の1枚石、高さ1mほどのところに石棚を付設しています。天井は前後を持ち送り、段の塚穴型です。玄門部には袖石がなく、羨道の途中に立石があります。

開口部、かなり狭いです

羨道、途中に立石があるが、入り口からは玄門に見える

奥壁

奥から羨道方向、袖石はない


海原古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 美馬市西荒川87、荒川古墳の西北西300m、養鶏場の東にあります。径15mほどの円墳で、東側が削られています。南に開口する横穴式石室もそれに伴い、東側側壁がほとんど失われていて、断面模型のように穹窿式石室の構造を観察することができます。全長9.1m、玄室長4.35m、幅2.25m、高さ2.8mの規模で、県下では六位の大きさです。天井を前後から持ち送っていますが、西側壁はほとんど垂直に立ち上がっていて、玄門の袖部もわずかです。奥壁側に石棚と石障があり、床面には大きめの礫が敷かれています。段の塚穴型ですが、かなりアレンジされた印象を受けます。

古墳正面、東半分が消失

東側より、まるで段の塚穴型石室断面模型

奥壁

奥から玄門部


平野古墳 【市史跡】

 美馬市里平野103、海原古墳の北東300m、徳島自動車道のすぐ北の崖先端の竹林中にあります。径10mほどの円墳で、西向きに開口する横穴式石室は玄室長2.09m、幅1.96m、高さ2.1mの小規模なもので、棚はありませんが、玄室は胴張り、天井は穹窿式で、一応、段の塚穴型といえます。天井石は結晶片岩、それ以外は砂岩で築かれています。とにかく内部は、写真がとれないほど狭いです。

石室正面

玄門部、かなり狭い

奥壁

奥から玄門部


大国魂古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 美馬市城、倭大国魂神社の境内にあります。3基からなる大国魂古墳群の一つですが、石室が開口しているのはここだけです。横穴式石室は南東に開口し、全長4.6m、玄室長2.17m、幅2.22m、高さ2.09mの規模で、奥壁に石棚があります。玄室はやや胴張りをもつ正方形プランで、天井石の持ち送りは角度が揃っていなくて規格性に欠けます。側壁も砂岩と結晶片岩が混在しており、石材や構築法が定型化されていない点から見て、段の塚穴型でも最古の古墳ではないかと言われています。

周辺の古墳分布

玄門部

奥壁、上方に石棚がある

奥から玄門部


八幡古墳群 【市史跡】

 美馬市八幡、重清西小学校南に1、2号墳、東の民家裏庭に3号墳があります。段の塚穴型石室の分布の西限にあたります。

 ■1号墳

 現在、忠魂碑が上に建てられていて、墳丘はかなり改変されていますが、横穴式石室はわりと良く残っています。南南東に石室の入り口がありますが埋まっていて、東側の側壁の隙間からわずかに内部を覗くことができます。玄室は長さ4m、幅2.26m、高さ2.51mの規模で、3基中最大です。奥壁には石棚があり、天井は持ち送りの急な穹窿式です。

墳丘の現状

南側の入り口

奥壁、大きな石棚、床面には礫が敷かれている

奥から玄門部、右袖が広い

 2号墳

 1号墳のすぐ西にあります。墳丘はそこそこ保存されていますが、薮に覆われていて、草をかき分けると東向きに石室が開口しています。内部はかなり埋まっていて、少し覗ける程度ですが、玄室長2.98m、幅2.29m、高さ2.12mの規模です。

墳丘の現状

石室内部

 3号墳

 小学校東の民家の裏庭にあります。築山として取り込まれていたため、最近まで古墳と気付かれなかったそうです。気付けヨ!径10mほどの円墳で、横穴式石室は東に開口。玄室長2.34m、幅2.02m、高さ2.05mの規模で、天井は穹窿式ですが、棚はありません。

墳丘正面

石室入り口、東に開口

奥壁

玄門部


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