茨城県水戸市・城里町(旧常北町)・ひたちなか市の古墳


吉田古墳

 国史跡。水戸市元吉田町345、水戸駅の真南1.2km、南中央通りのバス停吉田古墳入口から100m東へ入ったところにあります。一辺8mの方墳と考えられていましたが、水戸市2006年の調査で八角形墳の可能性が強いことがわかりました。横穴式石室は現在は埋め戻されていますが、凝灰岩の板石で築かれた全長3.3m、幅1.4m、高さ1.6mの規模で、奥壁に、靭、刀子、大刀、鞆、鉾などの線刻画が描かれていました。七世紀前半の終末期古墳です。

古墳の現状

奥壁の線刻画


増井古墳

 城里町(旧常北町)増井。鹿島神社の東300mの旧水戸街道沿いにあります。道路に墳丘を分断されていて、崖面に横穴式石室の壁面が露出しています。奥壁は切石の一枚石で、線刻画が描かれているらしいのですが、崖をよじ登って観察してみると・・・内容はよくわかりませんでした。家屋か人物像のように見えます。墳丘は前方後円墳らしく、現在は墓地となっています。

古墳の現状、崖面に石室が露出

奥壁の石材。線刻画がかすかに見える


虎塚古墳 【管理人特選】

 国史跡。出土品は市文化財。ひたちなか市中根3494-1にあります。東水戸道路ひたちなかICのすぐ西です。全長56.5m、後円部径32.5mの前方部が発達した前方後円墳で、盾形の周濠が巡ります。後円部にある横穴式石室は玄室長2.8m、高さ1.4m、羨道長1.3m、幅1.2mの両袖式で、奥壁一枚、東壁二枚、西壁二枚、天井石三枚の凝灰岩からなり、床面は七枚の板石が敷かれています。羨道の前には長さ1mの墓道がつきます。1973年に発掘調査され、9月12日、未開口の石室を開ける瞬間が、一般公開されました。そして多数の市民・報道陣の見守る中、扉石が開かれ、石室の中に壁画が発見されたという劇的なエピソードをもっています。その時の状況、人々の興奮・感動は「日本の遺跡発掘物語」に詳しいですが、私もその瞬間に立ち会いたかったですね。床面と天井には全面朱が塗られ、それ以外の壁面の石材に白色粘土を塗った上にベンガラで壁画が描かれています。石室内は毎年、4月上旬頃と11月上旬頃に一般公開され、それ以外の日は、隣接する、ひたちなか市埋蔵文化財調査センターに精巧な実物大の石室のレプリカ(装飾古墳の世界展に展示するため造られた)があり、そちらを見学できます。また、茨城県立歴史館にも石室レプリカがあります。

奥壁/連続三角紋、上下連接三角紋、環状紋2、鞆、靭、大刀、槍、鉾

東壁/連続三角紋、円紋、双頭渦巻紋、靭2、盾3、井桁紋、有刺棒形紋、頚玉形紋、サシバ形紋、鐙、凹字形紋

西壁/連続三角紋、円紋9、弧線、鐙、凹字形紋

玄門/連続三角紋

墳丘、周溝も良好に残る

石室保存施設

埋蔵文化財センターにある精巧な石室のレプリカ

玄室内の壁画

右側壁

左側壁

虎塚4号墳

 虎塚古墳へ行く途中の畠の中にあり、横穴式石室が完全に露出しています。規模的には虎塚よりはやや小さな石室ですが、巨石を使用していて、虎塚の前の代の首長墓としてもおかしくありません。現状では天井石が落下して、無惨な姿をさらけ出しています。すぐそばに3号墳の墳丘が残っています。

左側面より、切石で築かれた石室

正面より。落ち込んだ巨大な天井石、奥に3号墳がある

十五郎穴横穴墓群

 県史跡。ひたちなか市中根3490、虎塚古墳のある台地の崖面にあり、虎塚から案内標識が整備されています。150基以上からなる横穴群ですが、未調査の部分もあり、今後さらに増える可能性があります。いくつかの支群に分かれ、うち、館出支群の34基が県史跡に指定されています。横穴の構造は玄室、羨道、前庭部からなり、玄室は天井がドーム状になっています。また、入口周囲の外壁を彫り込んで前庭部を築いています。

館出支群の全景

標準的な入口部


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