香川県三豊市の古墳
◆石舟古墳群 【市史跡】
高瀬町上麻2789、石舟バス停近くの大きな倉庫前に1号墳があります。径10mほどの円墳で、横穴式石室が開口。入口が埋まって、少し破壊されていますが、玄室は完存。全長8m、玄室長4m、幅1.8m、高さ2mの両袖式で、鏡石や天井に巨石を使用しています。50m奧の倉庫横に2号墳があります。ほぼ同規模の円墳で、横穴式石室は全長8m、玄室長4m、幅1.7m、高さ2.5mの両袖式、1号墳よりはやや大きめです。入口以外はほぼ完存しています。
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豊中町上高野の延命院境内にあり、台地上に築かれているため、遠くからでもよく墳丘が見えています。昔から火穴伝説があり、延命の塚穴と呼ばれてきました。径16mの円墳で、南に大型の横穴式石室が開口しています。玄室長3.3m、幅2.5m、高さ2.7m、羨道長1.8m、幅1.2m、高さ1.2mの右片袖式で、側壁はやや持ち送りながら高い天井を構築しています。それにしても、三豊市の石室は包丁式とか、なすび型とか、凸字型とか、例え方がユニークです。
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元、山本町辻1896にあり、圃場整備で発見された古墳ですが、現在は辻1433の菅生神社境内に移築されています。発見時、すでにほとんど破壊されていて、玄室の床の部分だけが残っていました。現状で長さ3m、幅1mほどで、奥壁には板石を鏡石に据えています。須恵器と銀環が出土しました。
山本町財田西1452の宗運寺境内にあります。財田川左岸の丘陵中腹に築かれた楕円形墳で、横穴式石室は現在閉鎖されていますが、全長6m、玄室長2.9m、幅1.7m、高さ1.9mの両袖式で、側壁は川原石を持ち送り、玄門は花崗岩の巨石を使用して構築しています。
◆山王山古墳 【市史跡】
山本町財田西1193、宗運寺の南西500mほどの竹林に覆われた山王山の山頂にあります。径30mほどの円墳で、南北に2基の横穴式石室が並ぶ双室墳です。石室はともに基底部しか残って居ませんが、平面企画がそれぞれ長方形と胴張り状という異なった形態をとっています。発掘調査で須恵器、金銀装の耳環、ガラス玉類が出土していて、新羅系渡来人の墓と考えられています。しかし・・・、夜の古墳はエキサイティングです。
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財田町財田中、宗運寺の北東500m、国道377号線長瀬交差点の東300mの山裾に移築されています。元々は80m西側の現ゴルフ場にありました。径15mの円墳で、横穴式石室は玄室長2.8m、幅1.5m、高さ1.6m、羨道長2.45mの無袖式です。基底部、天井には花崗岩の巨石を据え、その上に小型の砂岩を積み上げています。玄室と羨道の境界には、袖石っぽい石材が立っていて、床面にも礫を敷き詰めています。周辺には20基以上からなる吉田古墳群が存在しましたが、現在はほとんど消滅しているようです。暗い中、探すのに苦労しました・・・。
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