福岡県みやこ町(旧勝山町西部)の古墳


勝山古墳群 【管理人推薦】

 旧勝山町黒田1296-1、綾塚古墳の南西500m、勝山神社のある丘陵の麓にあり、現存4基です。そのうち1〜3号墳は横一列に並んだ大型円墳で、1、2号墳は複室構造、3号墳は三室構造の大型横穴式石室がいずれも完存しています。このうち2、3号墳で入室可能です。

 3号墳

 神社への登り口から右の林の中へ入っていくと、すぐに大きな墳丘があり、これが3号墳です。径19m以上の円墳ですが、石室入口付近が破壊されています。三室構造の横穴式石室は南東に開口し、全長12.3m以上で、羨道があと2m以上はありそうです。後室は3×2.6×2.9mの大きさで、奧・側壁とも呆れるくらいの巨石を使用し、石材の高さを揃えています。中室は2×2×2.2mの大きさで、ここも石材は小さくなりますが、左右側壁の高さを揃えています。前室は2.2×2×2mの大きさで、徐々に小さくなっています。

石室正面

羨道から前室

前室から中室

中室から後室

後室奥壁、巨石に囲まれている

後室から中室、入口は遥か彼方

中室から前室

前室から入口方向

 2号墳

 3号墳から奧に進むとすぐに2号墳があります。径20mの円墳で、複室構造の横穴式石室がほぼ南に開口。全長9.8m、後室は3.2×2.3×2.7mの大きさで3号墳よりは石材が小型です。前室は2×1.9×2.2mの大きさで、羨道は石材もかなり小さく、崩壊気味です。構造から見て、3基の中では最初に築かれたと思われます。

石室正面

羨道から前室

前室から後室

後室奧壁、天井が高い

後室から前室

前室から入口

 1号墳

 最も奧にある1号墳は径18mの円墳で、墳丘の状態は最も良さそうです。ここにも複室構造の横穴式石室が南に開口していますが、羨道入口の天井石が落ちているためにわずかな隙間しか開いていません。入れなくはないですが、汚れるのが確実なのでやめました。石室は全長11m以上、後室は3.8×2.8×3.1mの大きさで群中最大規模です。床には敷石と樒石が残っています。前室は2.5×2.6×2.2mの大きさで、目地の粘土が残っていました。2号墳と3号墳の間に築かれたと考えられます。

石室正面、羨道がほとんど埋まる

隙間から

 4号墳

 神社への登り口に戻ると、鳥居のすぐ後ろに4号墳があります。現状で径8mほどの円墳で、半壊した横穴式石室が露出しています。玄室の奧壁付近は残存していて、幅1.5mほどで1〜3号墳と比べると、かなり小規模です。

半壊状態の石室

玄室奥壁、かなり埋まっている

扇八幡古墳

 福岡県史跡。旧勝山町箕田1037の扇八幡神社の境内にあります。全長58.4m、後円部径36m、前方部幅49m、前方部が発達した二段築成の前方後円墳で、周囲に幅3〜5mの周溝、さらにその外側に周堤が巡り、保存状態は大変良好です。後円部側の周堤に小さな張り出し部があり、ほぼ同時期の岩戸山古墳同様、別区の存在が予想されます。未調査ですが、出土した埴輪から六世紀前半の築造と考えられ、主体部は横穴式石室と思われます。後円部南側に陪塚が2基存在しています。

前方部側から

後円部と周溝、周堤

 2号墳は径7mの円墳で、横穴式石室が開口。隙間から内部を覗くことができますが、かなり埋まっています。3号墳は径12mの円墳で、横穴式石室の石材が一部見えています。

2号墳石室

石室内部

3号墳

3号墳、一部石材露出

箕田丸山古墳

 旧勝山町箕田966、集落中央の公民館からすぐ南の角を西に入り、道が三つに分かれる辻で真ん中を登っていくと小堂があり、その後ろが墳丘です。全長40m、後円部径19mほどの前方後円墳で、前方部が発達しています。前方部、後円部それぞれに横穴式石室がある双室墳ですが、前方部石室は埋まっています。後円部石室は前方部石室とは逆方向に開口し、玄室長3.1m、幅2.2m、高さ2.1mの規模で、小さなブロック状の石材を持ち送って積み上げた古いタイプの石室です。前方部石室は1951年に発見されたときは未盗掘で、古墳規模に対して「豪華すぎる」豊富な副葬品が出土しました。しかし、その後盗難などで出土品は散逸してしまっています。後円部石室は六世紀前半の古墳築造時、前方部石室は単室から複室への過渡期にあたる構造で、六世紀中頃の築造と思われます。

後円部側、小堂が目印

後円部石室開口部

後円部石室玄室奥壁

後円部石室玄門部


<ホームへ戻る>

 

inserted by FC2 system