福岡県みやこ町(旧豊津町)の古墳


甲塚方墳 【管理人推薦】【県史跡】

 旧豊津町国作1393-1、国道496号線八景山交差点の南西、丘陵上にあります。東西46.5m、南北36.4m、高さ9.5mの九州最大級の方墳で、三段築成、葺石があり、周囲に周溝、周堤が巡ります。東側は崖、西側は道路で一部破壊されています。南向きに巨大な横穴式石室が開口しています。全長14.5m、後室長4m、幅3.7m、高さ4.6m、前室長2.1m、幅3mの両袖式で、前室、羨道は復元されています。奧・側壁は基底部に巨石を据え、その上に石材を持ち送りながら高い空間を築いています。床面には礫が敷き詰められています。羨道部には天井石が無かったかも知れません。すぐ近くに豊前国分寺跡があることから付近は京都平野の中心地であり、そこに君臨した有力豪族の墓であることは間違い有りません。

三段築成の巨大な墳丘

羨道から前室

前室から後室

後室奥壁、天井が高い!

後室の玄門

前室の玄門


八景山山麓古墳群

 旧豊津町国作、甲塚方墳から北へ橋を渡って、八景山の東側の山麓へ降りていくと、山裾の県道沿いに後期古墳が一列に並んでいます。元々13基ありましたが、現存は7基です。このうち4、6号墳が調査され、2、5号墳で完存する複室構造の横穴式石室が見学できます。1号墳は墳丘のみです。

1号墳

 2号墳は、複室構造の横穴式石室が完存しています。両袖式で、巨石を使用していますが、規模は小さいので、内部の撮影が困難です。

前室の玄門

前室から後室

後室奥壁

奧から

 4号墳は、石室の入口にわずかな隙間があり、かろうじて内部を覗くことができます。小型ながら、内部は完存していそうです。

石室開口部

石室内部

 5号墳は、全長12m、群中最大の複室構造の横穴式石室が開口しています。構成材は巨石だらけ、奥壁も三角形の一枚石で、その形に沿うように側壁を傾斜させています。

石室開口部

前室から後室

後室奥壁

後室から入口方向

 6号墳は、横穴式石室の玄室奥壁付近だけが残っています。小型ですが、巨石で構築されています。

石室開口部

石室内部

 7号墳は、墳丘のみです。また、甲塚方墳周辺にもいくつか石室が露出しています。

7号墳

甲塚方墳付近の古墳


彦徳甲塚古墳【県史跡】

 旧豊津町彦徳873-1、甲塚古墳から、小円墳を見ながら南へ500m、錦町交差点の100m北西にあります。一部削られていますが、非常に保存状態の良い径29mの円墳で、二段築成。周囲に二重の周溝が巡らされ、外周径は56mになります。未調査のため、内部施設は不明ですが、高い墳丘から、横穴式石室を内包していると思われます。

 

  周溝


徳永川の上遺跡

 旧豊津町徳永、国道10号線バイパス椎田道路入口の交差点にあります。バイパス工事にともない調査され、縄紋後期〜鎌倉時代の複合遺跡であることがわかりました。古墳は中期〜後期の方墳3基、円墳25基が発見されました。現在は一部が公園化され、ガラス貼りの三角形のブースの中に4号墳?の箱式石棺が保存されています。

中途半端に公園化された遺跡、看板だけはやたらでかい

おそらく4号墳の箱式石棺


呰見大塚古墳 【装飾古墳】

 旧豊津町呰見927、東九州自動車道豊津IC建設予定地にある古墳で、調査の結果、京都平野では初の装飾古墳であることがわかりました。古墳は六世紀後半の径25mの円墳で、二重周溝を持ち、最外周は径30mになります。横穴式石室は全長7m、後室長3m、幅2m、高さ1.5m以上、前室長1.5m、幅1.6mの複室構造で、天井石はほとんど失われ、側壁も一部抜かれていました。装飾はすべて赤色顔料で描かれ、後室右側壁に三角紋4ヶ所、左側壁に三角紋1ヶ所、奥壁に同心円紋1ヶ所、右袖石後面に×状紋1ヶ所、両袖石の正面・側面に三角紋、円紋6ヶ所、前室左袖石前面に三角紋1ヶ所が確認されています。装飾の一部は他の石材に隠されていますので、石室築造前に描かれた可能性が高いです。なお、横穴式石室および装飾の精密なCG画像をこちらのサイトで見ることができます。

>>http://kyuhaku.jmc.or.jp/kofun_flash/2009/azamiootsuka/index.html

 


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