宮崎県宮崎市北部
■広瀬古墳群(広瀬村古墳) 【県史跡】
宮崎市佐土原町下那珂、国道10号線と県道14号線の交差点南側の農地周辺に分布する古墳群で、周辺の土器田横穴墓群・広瀬城ヶ峰横穴墓群なども含めて広瀬村古墳として県史跡に指定されています。このうち、広瀬古墳群は現存7基です。宮崎県バイオテクノロジー種苗増殖センターの東側道路沿いに39号墳があり、ここに説明板があります。ここから道路沿いに北へ進むと、西側に大きな墳丘の40号墳、東側に小円墳の41、42号墳があります。
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41号墳の100m北に小さな神社があり、社殿の裏に45号墳があります。というより、社殿が墳丘を大きく削って建てられています。そこから国道10号線佐土原バイパスを挟んで東側の農地の中に43、44号墳があります。44号墳は、ほとんど墳丘が残っていません。
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広瀬古墳群の北方の丘陵南斜面にありましたが、国道10号線佐土原バイパスの工事で消滅しました。現在、西都原考古博物館に玄室奥壁の線刻壁画がはぎ取られて保存されています。また、レプリカも展示されています。横穴墓は妻入り寄棟造りで、玄室は長さ4.6m、幅3.85mの長方形です。墳丘を伴っていたようです。玄室両側壁と奥壁に装飾があり、左右側壁には線刻で描いた連続三角紋に赤色で彩色が施されています。奥壁には同じく赤で彩色された連続三角紋の上の屋根部に線刻で、二頭の馬、二頭のイルカ?、二人の人物?などが描かれています。他に奥壁下部と左側壁のはぎ取りもあるはずですが、ここには展示されていません。
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宮崎市島之内、住吉中学校の西100mにあり、墳丘上に白山神社が建っています。墳丘はくびれ部で小道に分断されています。住吉村古墳としては、他に40基の横穴墓を含むそうですが、場所は不明。
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宮崎市広原菅牟田7520、住宅街奧の墓地の裏の斜面にあるはずですが、現状では、薮が酷くてよくわかりません。1号と3号横穴墓に線刻壁画があり、1号横穴墓の壁画の写真が西都原考古博物館に展示されています。壁画は左右側壁にあり、右側壁には9体、左側壁には2体の人物像が描かれています。
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宮崎市平和ヶ丘西町、平和台団地の池内公園内にあります。団地の造成に伴って30基の横穴墓が調査されました。A〜Dの四支群からなり、うちA支群の1〜4号墓の4基が県史跡に指定され、現状保存されています。保存された横穴墓は羨道が長く、玄室は長方形で寄せ棟形の天井をしています。
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宮崎市上北方の丘陵の広い範囲に分布する横穴群で、47基が県史跡に指定されています。見学しやすいのは磐戸神社周辺で、三支群16基がありますが、神社境内や山道の斜面に横穴墓が開口しています。
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