栃木県真岡市の古墳


中村大塚古墳 【管理人推薦】

 市史跡。真岡市中562-2の中村八幡宮本殿裏の林の奥にあります。現状は径25mほどの円墳ですが、元は前方後円墳だった可能性があります。横穴式石室が南に開口。全長8.06m、玄室長4.2m、最大幅1.72m、高さ1.8m、羨道長3.9m、幅0.7mの両袖式で、奥壁、天井、玄門には凝灰岩の切石を使用し、玄室側壁は川原石を胴張り状に小口積みしています。石の隙間には粘土が詰められています。羨道はブロック状の凝灰岩を乱雑に積んでいますが、半壊状態で実測図と現状が違っているので、元の姿を留めていないかもしれません。玄門入口の石材も後世のものっぽいです。出土した須恵器などから六世紀末〜七世紀初めの築造と考えられます。

玄門と羨道が、どうも現状と違っている

切石造りの玄門部、入口の石材は後世のものかも

奥壁、見事な一枚石

奥から玄門部

神宮寺塚古墳 【管理人推薦】

 市史跡。真岡市根本1068-1、森之木公民館の北隣りにあります。裾がやや削られていますが、径25m以上の円墳です。南に横穴式石室が開口、現存長6.31m、最大幅2.25m、高さ2mの無袖式で、奥壁は巨大な一枚石。側壁は割石の乱石積みで、やや胴張り状、持ち送りがあります。六世紀後半の築造ですが、七世紀初めに追葬があり、そのとき、床面に磚が敷かれたそうです。

古墳の全景

石室入口

奥壁、これまた見事な一枚石

奥から外

兜塚古墳

 真岡市根本、神宮寺塚古墳の北50mにあります。墳丘はかなり削られていますが、径20mほどの円墳で、埋葬施設は残された石材から、切石造りの横穴式石室と推定されています。、七世紀の終末期古墳と思われます。

 

山崎古墳群

 市史跡。真岡市根本、神宮寺塚古墳の北700mの丘陵先端にある古墳群で現存4基からなります。1、3、4号墳は南側の林の中に隣接していて、1号墳は全長33.43m、後方部長さ18.43m、前方部幅9.48mno前方後方墳で、前方部があまり発達していません。発掘調査により明らかになった主体部は後方部の墳頂下0.5mにあった粘土槨で、割竹形木棺が納められていました。鉄剣、ヤリガンナ、管玉が出土しています。四世紀後半の築造と見られます。3号墳は15m×20mの方墳で、1号墳の周溝を切って築かれているため、1号墳の後に築かれています。4号墳は径20m弱の円墳です。2号墳は少し離れた北側にある全長40mの前方後円墳で、発掘調査によって、主体部は全長5.6m、幅2.4m、高さ1.9mの横穴式石室とわかりました。現在は埋め戻されていますが、後円部の裾に石室の巨大な石材が1個転落しています。七世紀前半の築造とされています。

分布図

1号墳

2号墳

2号墳後円部の転落した石材

3号墳

4号墳

鶏塚古墳(京泉シトミ原古墳群) 【管理人推薦】

 県史跡。真岡市京泉シトミ原。円墳17基からなる古墳群中、最大の径20mくらいの円墳です。橋本氏宅の庭にあり、塀の一部が途切れて、道路から直接古墳にアプローチできるようにしてくれています。横穴式石室がケヤキの根本に開口。全長5.68m、奥壁幅1.58m、奥壁高さ1.51mの無袖式で、奥に行くほど広い羽子板形をしています。側壁は川原石を丁寧に積み上げ、奥壁は上下二段、天井石は六枚の自然石を並べています。昭和五年の調査で、多数の形象埴輪が出土し、特に鶏形埴輪が多数出土したため、この名があります。出土した埴輪群は、現在東京国立博物館の平成館一階に展示されています。

木の根本に石室が開口

奥壁、上下二枚、側壁は川原石

奥から外

近くの京泉シトミ原14号墳


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