京都府向日市の古墳


元稲荷古墳 【市史跡】

 向日市向日町北山、向日神社北側の勝山公園内にあります。向日丘陵先端に築かれた全長94mの前方後方墳です。後方部に並べられた円筒埴輪と壷型埴輪や、墳丘の扁平な貼り石から三世紀後半、山城最古の古墳と考えられています。竪穴式石室は埋め戻されていますが、天井石が一枚、向日市文化資料館に展示されています。

前方部から

クビレ部、基底石が残っていました

合掌形の竪穴式石室

竪穴式石室の天井石

 2012年の調査で、前方部の南端裾を検出しました。裾部の葺石が良好に残っており、基底石を挟んで、基底平坦面にも礫が敷き詰められていました。南東隅は礫を検出しましたが、明確な墳丘の角は残って居ませんでした。

前方部南端、手前の石列は遊歩道

前方部南端の葺石と平坦部の礫

前方部南東端

前方部東側斜面


五塚原古墳

 向日市寺戸町芝山、市役所すぐ西、はりこ池の隣にあります。全長94m、後円部径54mの前方後円墳で、前方部はいわゆるバチ形に開き、川原石の葺石を伴います。主体部は未調査ですが、比較的保存状態が良く、四世紀前半の築造と見られます。2001年に、古墳に隣接する長岡京跡から、ミニチュア祭祀具の土製品が大量に出土しました。

前方部から後円部を見る

隣接する長岡京の遺跡

ミニチュア祭祀具の出土状況

ミニチュアの土製品

 2013年にくびれ部と後円部が調査されました。くびれ部東側の墳丘から裾の平坦面まで礫が敷き詰められていて、特に上面では隆起斜道の存在も確認できました。後円部のテラスはくびれ部で途切れており、前方部には段築がなかったと思われます。また、古墳関連の遺物がまったく出土せず、埴輪・土器が並んでいなかった可能性が出てきました。後円部の調査では、くびれ部との基底ラインのつながりから、正円を描いていないことがわかりました。また、後円部南東側にある小さな隆起は古墳とは無関係でした。

右上の通路が隆起斜道

東側くびれ部、上から

くびれ部から後円部上段基底部、手前が隆起斜道

くびれ部下段の基底部、平坦面まで礫敷きあり


寺戸大塚古墳

 向日市寺戸町芝山、京都市西京区との境、洛西竹林公園の南にあります。全長94m、後円部径57mの前期前方後円墳です。戦前に前方部が調査され、竪穴式石室から国産の銅鏡、琴柱型石製品、銅鏃が出土しています。昭和42年に調査された後円部では墳頂に埴輪を巡らした方形区画があり、その下に6.5m×0.8m×1.6mの竪穴式石室が見つかりました。椿井大塚山古墳と同氾の三角縁神獣鏡、合子、勾玉、石釧、鉄製品などが出土。椿井大塚山の被葬者の支配下にあった人物の墓と考えられます。前方部は、竹林として開発されて、かなり変形しています。

後円部

後円部斜面の葺石

 2012年の調査で、これまで柄鏡形だと考えられてきた前方部が、先端が開く台形であることが判明しました。同設計の前方後円墳はこれから探すことになります。後円部北端の裾部も検出、葺石が良好に残り、円筒埴輪が3m間隔で並んでいました。

前方部西側斜面にトレンチを設定

右上が裾部、第一段平坦面に円筒埴輪がある

後円部の北端

裾部の葺石と円筒埴輪列


南条3号墳

 向日市物集女町南条40-1、第二向陽小学校西隣の墓地にあり、通称「二校前古墳」と呼ばれています。径28mの円墳で、葺石がありますが、周溝は伴いません。墳頂部は平坦で、かつて盗掘坑が開いていました。出土した須恵器、円筒埴輪片から五世紀中頃の築造と考えられます。

東側から

背後から


物集女車塚古墳 【管理人特選】【府史跡】

 向日市物集女、府道67号線(物集女街道)沿いにあり、車塚緑地として整備されています。全長45m、後円部径28mの背高の前方後円墳で、北・西側に幅6mの周濠がありました。主体部は古式の横穴式石室で、全長10.9m、玄室長5.1m、幅2.8m、高さ3m、羨道幅1.5mの右片袖式で、前庭部も備えます。羨道の途中にはシキミ石、床面には立派な排水溝が設けられていて、その先は墳丘外まで続き、現在擁壁に露出しています。玄室には、二上山凝灰岩製の組合せ式家形石棺が完存するほか、三回ほど追葬が行われたようです。石室の石材には、一部、中期の長持形石棺を転用していました。六世紀前半、向日丘陵に突然現れた首長墓です。石室は毎年5月に予約制で公開されます。

後円部

南側に石室開口、その下の擁壁に排水溝の先端が露出

排水溝をそのまま説明板で囲って展示。写真ではありません。

羨道

玄室

組合せ式家形石棺


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