徳島県鳴門市の古墳


大代古墳群 【県史跡】

 鳴門市大津町大代字日開谷1484-2、高松自動車道鳴門インターのすぐ西にある大代古墳トンネルの上に現地保存されています。阿讃山脈東端南麓から南に派生する標高41〜43mの尾根上に位置し、平成12年3月10日に高速道路建設の事前調査で発見され、調査後、工法変更して保存されることになりました。前方後円墳である大代古墳と、円墳2基で構成され、大代古墳北側の直径約22mの円墳が2号墳、南側の直径約15mの円墳が3号墳です。また東尾根部東端斜面において箱式石棺1基を検出しています。大代古墳は全長約54m、後円部南北径約31m、同東西径約45m、前方部長約23m、くびれ部幅約18m、前方部前面幅約21m、墳高は後円部約6.7m、前方部約3.3mの規模で、前方部、後円部とも2段築成ですが、前方部前面および後円部北側では東西側面における第1段テラス裾のラインが墳裾となり、その外側に掘割溝を形成する構造になっています。葺石は墳丘斜面全体にではなく、裾部を列石状に区画しています。第1段テラス上、前方部墳頂において90cm間隔で円筒埴輪の基底部を検出しています。後円部墳丘斜面では家形、盾形などの形象埴輪が出土しました。その出土状況から本来形象埴輪は後円部墳頂に樹立していたものと考えられます。

 主体部は、後円部墳頂中央部で南北を主軸とする竪穴式石室1基を検出しています。石室内には刳抜式舟方石棺を安置しますが、後世の盗掘により石室の上半部分は破壊を受けていました。また石棺も蓋は遺存していません。墓壙は南北約7.4m、東西約4.5m、深さ約80cmを測る長方形プランで、石室は内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0m、壁体は結晶片岩板石による長手積みによって構築されており、北小口部で2段約10cm、南小口で7段約35cmが遺存していました。刳抜式舟形石棺は石室のほぼ中央に安置され、縄掛突起を含む全長が2.84m、内法長2.23m、全幅87cm、内法上端幅66cm、深さは約42cm、同内法約24cm、両小口部外側面にそれぞれ縄掛突起を有し、四壁は内外とも直線的な面加工が施されており、外底面のみ緩やかな舟底状に加工されています。棺全面に水銀朱の塗布が認められ、石材は香川県大川郡津田町火山産の白色凝灰岩のようです。 石棺の複製品が徳島県埋文センターに展示されています。

 4世紀末の築造と考えられ、2・3号墳はその陪塚と思われます。

3号墳と、古墳からの眺め(徳島市方面)

県埋文センターに展示されている石棺の複製品


西山谷古墳群

 鳴門市大麻町大谷の阿讃山脈南麓尾根上に位置する古墳群で、高松自動車道の建設に伴う事前調査で6基の古墳が検出されました。このうち、2号墳は、径20mの円墳で、6.5m×4.8mの墓坑に4.72m×1.05mの竪穴式石室が良好に遺存していました。石室床面には白色粘土の上にくり抜き式木棺が置かれていたと思われます。棺の内外には貴重な水銀朱が敷かれ、鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、斜縁上方作銘獣帯鏡のほか、直口壷、カメが出土しています。土器類は割ったのち、副葬されていました。土器の編年から、三世紀半ばの年代が与えられ、四国でも最古の古墳であり、また大和に先行する最古の竪穴式石室でもあります。石室は現在、徳島県埋蔵文化財センター敷地内に移築保存されています。

2号墳の竪穴式石室、結晶片岩を大量に使用

2号墳の竪穴式石室、中山大塚にそっくりです

1号石蓋土坑墓、素掘りの墓に巨大な石の蓋

3号墳


葛城神社古墳

 鳴門市大麻町大谷の葛城神社本殿裏にあります。径15mの円墳で、墳丘はかなり失われ、横穴式石室の石材が露出しています。石室内部は比較的保存が良いですが、羨道が埋まっていて、内部は隙間から覗くしかできません。竪穴式石室が併設されているということですが、現状ではよくわかりません。


穴観音古墳

 鳴門市大麻町大谷字山田59の東林院境内にあります。径10mの円墳で、横穴式石室が観音堂として利用されています。石室は玄室長3m、幅1.5mくらいの小規模なもので、砂岩河原石を積み上げ、上部でやや持ち送っています。六世紀後半の築造です。


天河別神社古墳群 【県史跡】

 鳴門市大麻町池谷、古墳群のある尾根のすぐ下を県道鳴門池田線のトンネルが通っています。トンネルのすぐ南に天河別神社があり、社殿の裏に1号墳、横に2号墳、背後の尾根上に3号墳以降が分布しています。1号墳は径25mの円墳で、周溝が巡ります。4.8m×1.1mの竪穴式石室が一部を除いて良好に残っていました。大代古墳、愛宕山古墳と同じ構造で、時期的には前期前半と考えられます。隣の2号墳は径26mの円墳で、こちらも竪穴式石室が良好に残っていました。3、4号墳はともに全長42mの前方後円墳で中期末の築造、5〜8号墳は円墳です。

1号墳竪穴式石室

1号墳竪穴式石室の一部破壊された状態

2号墳

2号墳竪穴式石室


宝幢寺古墳 【県史跡】

 鳴門市大麻町池谷、大麻中学校の西隣りの宝幢寺の裏山尾根先端にあります。全長47m、後円部径28mの前方後円墳で、墳丘はほとんどが地山を削りだして整形されています。埴輪片が出土していることから、墳丘の周囲には円筒埴輪と朝顔形埴輪を立て並べられていたとみられます。後円部には宝幢寺の歴代住職の石塔があり、その付近に主体部があったとみられますが、構造などは不明です。出土した埴輪の形態から4世紀中頃に築造されたと考えられます。


萩原古墳群

 鳴門市大麻町池谷、天河神社古墳群の西の尾根にありましたが、県道鳴門池田線の工事に伴い調査され、埋葬施設の一部が宝幢寺の境内に移設されています。庄内式併行期から古墳後期にかけての墳墓群で、標高10〜24mの尾根から斜面全体にかけて22基の埋葬施設が検出されました。1号墓は突出部をもつ弥生末期の円形の積石塚で、埋葬施設は1号墓が結晶片岩の竪穴式石室ですがすでに消滅しました。2号墓は主体部の周りを河原石で囲い、上に供献土器を並べていて、ホケノ山の石囲い木槨の祖形ではないかと考えられています。他の埋葬施設は中期の箱式石棺と後期の小竪穴式石室が中心です。

移築された埋葬施設群

中期の箱式石棺

砂岩を用いた後期の小竪穴式石室

小型石室


ぬか塚古墳

 鳴門市大麻町萩原、坂東駅の東500mの県道41号線沿いにある大きな民家の裏庭にあります。樋殿谷川のほとりにある径15mくらいの円墳で、横穴式石室が南に開口。玄室長3.27m、幅1.5m、高さ2.3mの右片袖式で、砂岩の角礫で築かれていますが、羨道天井部のみ結晶片岩を使用しています。本来は、川の対岸にある春日神社古墳群の一つと考えられています。

墳丘

玄室奥壁

玄室奥から


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