宮城県名取市西部


賽ノ窪古墳群

 名取市愛島笠島〜愛島塩手、名取大塚山古墳を中心として、県道39号線沿いに南北に広く分布する古墳群で、前方後円墳2、円墳21基が残っています。概ね、名取大塚山古墳(1号墳)を中心とする南群と、十石上古墳(17号墳)を中心とする北群に分かれます。南群は埴輪を伴う中期古墳群、北群は箱式石棺が検出されている後期古墳群と推定されています。

南群

北群

 名取大塚山古墳(1号墳) 【市史跡】

 古墳群のほぼ中央、県道39号線から農道を東へ200mほど入ったところにあります。全長90m、後円部径60mの前方後円墳で、後円部は三段築成、前方部は極端に低くなっています。出土した埴輪から五世紀中頃の築造と思われます。主体部は未調査のため不明です。

  

 2〜4号墳

 名取大塚山古墳から農道を南へ進むと、前方部の先に道路を挟んで左の竹林に2号墳、右の農地に3号墳があります。2号墳は墳丘がかなり破壊されています。その先の道路沿いの竹林に4号墳があります。

2号墳

3号墳

4号墳

 5〜8号墳

 4号墳の先の竹林の中に5〜8号墳が並んでいます。5号墳の東側は公園になっていて、そこに説明板と詳細な分布図があります。

5号墳

6号墳

7号墳

8号墳

 12号墳(御上古墳)

 県道39号線に戻り少し北へ行くと道路沿いの擁壁上にあります。径18m、高さ3mの円墳で、中央部が陥没しています。

 

 17号墳(十石上古墳)

 さらに県道39号線を200mほど登っていった右側にあります。全長40mの前方後円墳で、北群の盟主墳となっています。墳丘はかなり破壊されています。

 

 19、20、22号墳

 17号墳の向かいに佐倍乃神社があり、その林の中、交差点に面して19号墳があります。道路で少し削られています。社殿の西側に20号墳があります。また。17号墳の南の民家横に22号墳がありますが、こちらは墳丘が大きく破壊されています。

19号墳

20号墳

22号墳

 16、15、14号墳(茂平塚古墳)

 22号墳のところの交差点から東へ曲がると、右側の竹林の中に16、15号墳があります。私有地内に低い墳丘が残っています。さらに先の道路沿いに14号墳があります。きれいな墳丘とともに、周溝の痕跡も良好に残っています。

16号墳

15号墳

14号墳


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