宮崎県延岡市南部
■南方37号墳(南方古墳群野地・野田支群) 【国史跡】
南方古墳群は延岡市南部の南方地区にある42基の古墳の総称で、5支群からなります。37号墳は野地・野田支群に属します。延岡市野田町の住宅地の中にあり、道路沿いに説明板があり、その奧にくり抜き式家形石棺が露出しています。石棺は阿蘇熔結凝灰岩製で、蓋石は外寸で長さ2.7m、高さ0.43m、身は長さ2.7m、高さ0.73m、縄掛突起があり、内部は朱の痕跡があります。
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大貫町五丁目、大貫中区公民館(駐車可)から北へ坂を登っていった丘陵上に大貫支群があり、24〜31、39号墳が残されています。24号墳は墓地のすぐ下にある径21mの大きな円墳で、市内最大の横穴式石室が開口しています。玄室長4.36m、幅1.58〜2.13m、高さ2.20〜2.52m、羨道長4.8m、幅0.93〜1.27m、高さ1.3〜1.67mの両袖式で、巨石を使用し、状態はすこぶる良好です。
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24号墳の上の墓地の奧に25号墳があります。径8mの円墳で、墳丘はかなり削られていそうです。そこから南の方にも墳丘があります。これが26号墳でしょうか?
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25号墳の西に27号墳があります。径13mの円墳ですが、削られて方墳のように見えます。
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27号墳のとなりに30号墳があります。径18mの円墳ですが、未調査のため詳細は不明です。また、西側の竹薮の中にも5基の古墳があるそうですが倒れた竹が多く、発見できたのは29号墳のみでした。29号墳は径12.2mの円墳で正体は良さそうです。
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墓地の入口に戻って、東側の林の奧に39号墳があります。全長58m、後円部径35m、前方部幅20mの帆立貝式古墳で、葺石はありますが、埴輪はありません。昭和四年に調査され、主体部は粘土槨に割竹形木棺が納められていました。鉄製武具、甲冑や竹製の竪櫛が多数出土しています。古墳の周辺は縄文早期の大貫貝塚となっています。
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延岡市大貫町四丁目、延岡しろやま支援学校南側の住宅地の中にあります。カンカン石から北へ100mほど登ったところです。付近の古墳上に立てられていた石人と考えられています。現在は信仰の対象になっています。
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