福岡県遠賀町・中間市の古墳
◆島津・丸山古墳群 【町史跡】
遠賀町島津、県道27号線島津交差点の南1kmにある南北に細長い丘陵上に分布する古墳群で、前方後円墳1、方墳1、円墳3基からなり、島津・丸山歴史自然公園として整備されています。また、隣接地にあった古墳もいくつか移設されています。
■島津丸山古墳
最も北側にある全長57m、後円部径30mの前方後円墳で、前方部が低くて細長く、古い墳形をしています。
前方部から後円部
■丸山2・3号墳
島津丸山古墳の南に丸山2、3号墳が並んでいます。2号墳は一辺18mの方墳で、位置的には丘陵頂部にあるため、島津丸山古墳よりも古い築造と推定されています。南に隣接する3号墳は、径17mの円墳で、やはり、古式の古墳と見られています。接近して並ぶ3基の古い古墳がすべて墳形が違うのは興味深いですね。
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■小古野1・2号墳
丘陵南端の尾根上に円墳2基が並んでいます。ともに径10mくらいの低い墳丘ですが、詳細はまったくわかっていません。説明板には、こことは直接関係ない話が延々と書かれています。
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■尾崎・天神遺跡3号墳
南西2kmの尾崎地区に存在した天神遺跡3号墳の横穴式石室が駐車場の横に移築されています。五世紀終わり頃に築造された初期横穴式石室で、天井は失われていましたが、入口の閉塞石が現位置で残っていました。
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■塚の元2号墳石棺
丘陵のすぐ南に隣接して塚の元古墳群10基が存在しましたが、すでに消滅し、現在は2号墳の箱式石棺が復元されています。
中間市垣生、垣生公園内にあります。独立丘陵である羅漢山の東西二つの支丘には50基ほどの横穴墓があり、その中でも最大級の横穴墓です。全長7.2m、前室長2.2m、幅2.75m、後室長3.2m、幅3.2mの複室構造で、径18mの墳丘を伴います。奥壁に沿って屍床があり、現在、その上に石仏が多数置かれていて、信仰の場となっていたようです。後室左側壁に船、右側壁に月などの線刻がありますが、後世の落書きが多く、本来のものかどうか決め手がありません。六世紀末〜七世紀前半の築造です。他にもIIIA−2、3、4号横穴に線刻があるそうですが、いずれも後世のものである可能性が高いです。
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2013年に再訪してきました。驚いたことに、後室内のレイアウトが大幅に変更されていました。信仰の対象がこんな簡単に変えられてしまって良いのか?しかも以前、奥壁中央にあった石仏が、左側壁の船の線刻画の前に置かれてしまっているため、見学の支障になっています。何とKYな・・・。
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◆垣生羅漢山横穴墓群IIIA−2〜4号横穴墓 【県史跡】【装飾古墳】
1号墓の右側に2〜4号墓があり、いずれも線刻画がありますが、落書きが多く、ほとんど後世のものの可能性が高いです。資料では2号墓羨道左側壁に人物、3号墓主屍床前面に船、人、4号墓玄門上部に鳥の線刻画があるとされています。
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◆垣生羅漢山横穴墓群その他の横穴墓 【県史跡】
IIIA-4号墓の右側にもIIIA支群の横穴が連なっています。また、展望台の東の崖面にIIIC、IIID支群があります。内部に入れそうな横穴はありません。東側の丘陵上の埴生神社東側の崖面にもIA、IB支群があり、横穴墓がいくつか開口しています。
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中間市下大隈瀬戸に存在した横穴墓ですが、すでに消滅し、現在レプリカが垣生公園北側の中間市歴史民俗資料館に展示されています。全長5m、玄室長2.5m、幅2.6m、高さ1.5mの大きさで、天井は寄棟の屋根を模していて、左右側壁の前に計10個の造付石枕が設けられています。装飾は浮彫に赤色顔料で着色しており、奥壁中央に弓を引く騎馬人物、左側に鳥獣3と日輪、右側に舟と三日月が、左側壁にはタイルのような格子状紋と鹿に向かって弓を引く人物が描かれていました。右側壁にも格子状紋と馬、刀を持った人物が描かれていましたが、レプリカでは再現されていません。
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