大分県大分市東部の古墳
大分市羽田349、滝尾中学校の校庭に面した崖に84基の横穴が開口しており、インパクトの点では日本屈指の横穴群です。平らな崖面に最大で上下四段に並んでおり、高いところの横穴はどうやって埋葬を行ったのでしょうか?六世紀後半から七世紀中頃まで長期間築造が続き、内部もアーチ形、家形、ドーム形など様々な形態が見られます。
大分市里646-1、豊後水道を見下ろす県下最大の五世紀前半の前方後円墳で、現在亀塚古墳公園として復元整備され、公園内には海部古墳資料館も併設されています。全長116m、後円部径64m、前方部長52mの三段築成で、西側のくびれ部に造出しがあります。テラス上には白い玉砂利が敷かれ、墳丘全体は白い石英質の葺石で覆われていたため、かつては、海上から白く輝く墳丘が良く見えたことでしょう。埋葬施設は後円部の墳頂に二つ見つかっており、第一主体は長さ3.2mの緑泥片岩製組合せ式箱式石棺ですが、盗掘で破壊され、現在は復元品が置かれています。第二主体は竪穴式石室ですが、かなり破壊されていました。
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大分市里、亀塚古墳の後円部北側に近接して築かれています。亀塚古墳の半世紀後の五世紀後半、全長35m、後円部径25mの前方後円墳です。一段目は地山削り出し、二段目は版築で築かれていて、葺石はありません。後円部中央の埋葬施設は破壊されていましたが、くり抜き式石棺が直葬されていたと考えられていて、現在、石棺のレプリカが置かれています。
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大分市(旧佐賀関町)神崎、国道197号線沿いにあり、後円部上に神崎八幡神社が祭られています。全長90m、後円部径40mの前方後円墳で、葺石がありますが、くびれ部に道路が通り墳丘を分断しています。1932年に未盗掘の石棺2基が発見、調査されました。いずれも緑色片岩製の組合せ式箱式石棺で、北棺は1.8×0.65×0.73mの大きさで被葬者は貝釧を装着した女性です。南棺は1.95×0.75×0.8mの大きさで被葬者は三人、中央の一体はやはり貝釧を装着した女性でした。南棺からは豊富な副葬品が出土しています。石棺は現在玉石が充填されて埋め戻され、さらに覆屋で保護されています。亀塚古墳に先行する五世紀初め頃の海部の女性首長の墓です。
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