福岡県大野城市の古墳


善一田古墳群 【管理人推薦】

 

 大野城市乙金、イオン乙金ショッピングセンターの北500mにあります。福岡平野南東の乙金山麓にある乙金古墳群のうち、最も北にある善一田古墳群が宅地開発により調査され、6支群29基が発見されました。このうち9基の古墳が善一田古墳公園内に整備保存されることになりました。

 A支群

 A支群は16〜19号墳の4基からなります。このうち盟主墳となる18号墳が六世紀後半に最初に築かれました。18号墳は福岡平野が一望できる丘陵先端に築かれた径25mの円墳で、横穴式石室が完存しています。後室長2.8m、幅2.2m、高さ3.5mの複室構造で、同時期の福岡平野では最大の規模です。多数の馬具、鉄製武具が出土し、鉄製品生産集団の首長の墓と考えられます。

ひときわ高い位置にある盟主墳の18号墳

18号墳石室、羨道から前室

玄室奥壁

玄室奥から

前室の敷石

 18号墳から一段低いところに16、17、18号墳が並んでいます。完全にシートを掛けられているので、詳細はわかりませんが、18号墳の被葬者と近い関係の首長一族の墓と思われます。また、近くから七世紀代の土坑墓も見つかっています。

最も山側の16号墳

17号墳、中央の陥没がわかる

西端の19号墳

 B支群

 A支群から谷間を挟んだ南側にB支群があります。10〜15号墳の6基の円墳からなり、15号墳以外が公園内に保存されています。すべて横穴式石室を主体部とし、生産に関連する遺物が少ないため、比較的高い階層の被葬者が想定されます。山側の10〜12号墳はいずれも中央が陥没し、石室の保存状態はよくありません。

10号墳、背後より

右が10号墳正面、左は11号墳、奥にA支群

11号墳

11号墳正面、石室の残りは良くない

12号墳、列石が残っている

12号墳正面、石材はほとんど残っていない

 13号墳は小型の横穴式石室が完存しています。14号墳は、奥、側壁の石材が比較的残っていそうです。

13号墳石室正面

13号墳石室羨道

13号墳玄室奥壁

13号墳玄室奥から

14号墳、奥に18号墳

14号墳、奥壁と右側壁


王城山第4号墳 【管理人推薦】

 大野城市乙金王城山二丁目、善一田古墳公園の南西300mにある株式会社ピアノターミナル・ナカムラの敷地の奥にあり、事務所で鍵を管理しています。乙金古墳群のうち、王城山古墳群に属し、群中唯一、同社の協力により、保存整備されています。感謝!径20mほどの円墳で、横穴式石室が南に開口。複室構造で、後室は背が高く、前室は狭小です。羨道前には大きく開いた前庭があり、見事な石組みが残っています。

前庭が広いこと・・・

石室正面

前庭右側壁の見事な石組み

羨道から前室

後室奥壁、かなり高い

後室奥から


此岡古墳群

 

 大野城市乙金の大野城総合公園近くの山林内にあります。体育館の前から道路を登っていくと、ヘアピンカーブのところで左に管理用道路が分岐しています。その道を登っていくと小屋があり、その奥に2基の古墳が並んでいます。右側の1号墳は径15mほどの円墳で、横穴式石室の一部が露出していますが、内部はほぼ埋まっています。

右が1号墳、左奧が2号墳

1号墳石室正面

石室内部、埋没

 隣の2号墳は横穴式石室が開口しています。持ち送りのある小型の石室ですが、ほぼ完存。乱石積みで素朴な構造です。

2号墳、横穴式石室開口

玄室奥壁

玄室奥から


雉子ヶ尾古墳

 

 大野城市乙金、大城小学校の北100m、九州道沿いの住宅地の中に保存されています。九州道をはさんですぐ東側は大野城総合公園です。横穴式石室が南に開口していますが、入口に扉がある上に、扉の前にも行けないという残念な状況です。全長6.9m以上、後室長2.6m、幅2.6m、高さ2.1m、前室長2m、幅1.9m、高さ1.5mの複室構造で、何代にもわたって追葬が行われていました。

住宅地の中に保存

石室の入口、せめて扉の前まで行かせてほしい


胴ノ元古墳

 大野城市牛頚二丁目、福岡地区水道事業団牛頚浄水場の東の丘陵上にありましたが、宅地造成後、現地にできた胴ノ元古墳公園内に復元されています。径11mの円墳で周溝が存在しました。横穴式石室は全長6mくらいの単室構造で、施錠されていて内部には入れません・・・が、石室断面模型が説明板に完備されているので内部構造がわかります。

正面から

石室内部

玄室

石室の断面はこうなってます


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