栃木県大田原市(旧湯津上村、黒羽町)の古墳


下侍塚古墳 【管理人特選】

 国史跡。旧湯津上村湯津上、国道294号線沿いにあり、すぐ近くに、なす風土記の丘資料館があります。那珂川右岸の段丘上に位置する全長84mの前方後方墳で、葺石が見られます。1975年の調査で、かつては幅の一定しない周溝が巡っていたことがわかっています。周溝から葬送儀礼に使われた土器が出土し、四世紀後半頃の築造と考えられます。さて、関西人の私にとっては、この古墳を訪問することは、中学生の時からの夢で、30年目にしてようやく実現いたしました。1692年に徳川光圀が助さんに命じて上侍塚とともに発掘調査を行ったことはあまりにも有名で(当時は車塚とも呼ばれていたようです)、また、森浩一さんが日本で最も美しい古墳と賞しています。ただし、国道側からは、電線やラーメン屋の看板が景観を台無しにしていて、もう少し何とかしてほしいものです。

   電線とラーメン屋の看板が邪魔!

上侍塚古墳

 国史跡。旧湯津上村湯津上、下侍塚の南方800mにあり、下侍塚とともに徳川光圀により発掘調査されました。那須地域最大にして最後の前方後方墳で、県内でも二番目の大きさです。全長114m、後方部幅58mの規模で、幅25〜30mの周溝が巡りますが、東側は崖となっていて、残っていません。すぐ北側に上侍塚北古墳があり、こちらは全長48.5mの前方後方墳です。

   上侍塚北古墳

侍塚古墳群

 市史跡。旧湯津上村湯津上、下侍塚の北側一帯に分布し、前方後円墳1、方墳1、円墳6基からなります。1号墳は全長40mの前方後円墳で、前方部が一部削られています。円筒埴輪・葺石が認められます。2号墳は径22mの円墳で葺石が認められます。3号墳は径15mの円墳で、葺石が認められます。4号墳は径13mの円墳です。5号墳は径27mの円墳で、裾部に幅5mの平坦面があり、埴輪が巡っていました。埋葬施設は見つかっていません。6号墳は径16mの円墳で、葺石が認められます。7号墳は径13m、最も那珂川に近い小円墳です。8号墳は一辺17mの方墳で土師器が出土し、五世紀前半の築造と見られます。

分布図、「古墳のお部屋」掲載の分布図から進歩しています

1号墳

左から5、6、8号墳

8号墳

二ツ室塚古墳

 旧湯津上村小船渡、下侍塚から国道294号線沿いに北へ3kmのところにあります。全長46.5mの前方後円墳で、前方部、後円部それぞれに横穴式石室を持つ双室墳です。まず後円部が築かれ、その後前方部が築かれました。後円部だけに葺石が見られ、本来は円墳として築かれたのかも知れません。後円部石室は南南西に開口し、天井石を失って、現在覆屋で保護されています。全長7.13m、最大幅1.62mの無袖式で、羽子板状をしています。奥壁は鏡石を一枚据え、側壁は川原石を積み上げ、玄室と羨道との間には間仕切り石を敷いています。前方部の石室は埋め戻されて、石材らしきものが一個露出しているのみです。

後円部石室の現状

石室正面

玄室奥壁

前方部石室?

銭室塚古墳

 市史跡。旧黒羽町北滝、二ツ室塚から那珂川をはさんで東に1km、那珂川左岸の田圃の中にあります。径26m、二段築成の円墳で、葺石が認められ、田圃の旧状から周溝も存在したと推定されています。横穴式石室は南向きで、羨道部は埋まっていて、玄門部が開口。玄室長6.35m、最大幅2m、、高さ1.45m、羨道長約3mの両袖式で、やや胴張り。奥壁には鏡石を据え、側壁は川原石の乱石積み。玄門は柱石の上にマグサ石を乗せています。

古墳の現状、田圃の中に単独で存在

石室開口部

玄室奥壁

奧から玄門部


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