京都府大山崎町の古墳


境野1号墳

 大山崎町下植野境野、サントリー京都ビール工場のすぐ東の住宅地の中の竹林にあり、北500mには恵解山古墳があります。京都府遺跡地図では円墳4基とされていますが、2006年の調査で全長57.5m、後円部径32.4mの前方後円墳と判明しました。前方部は二段築成で円筒埴輪と葺石が良好に残っていました。埴輪の年代から四世紀頃の築造と思われます。乙訓丘陵最南端に位置し、淀川を望む位置に立地する前期の前方後円墳として重要な存在です。

前方部のテラス

葺石と円筒埴輪列の出土状況


鳥居前古墳

 大山崎町円明寺、京都盆地を見下ろす丘陵上に築かれた全長51m、後円部径39mの前方後円墳です。主体部は後円部に築かれた竪穴式石室で銅鏡、巴形銅器などが出土しています。後円部は三段築成と思われていましたが、2012年度の調査で平野側だけが四段に築かれ、平野から見た墳丘がより大きく見えるように築造されていることがわかりました。

後円部、左側に前方部

 

後円部上の埋葬施設の位置

2012年度の調査で現れた後円部最下段

2012年度の調査で現れたくびれ部の葺石


白味才・白味才西古墳

 大山崎町白味才の観音寺北側にあり、2012年度に共同住宅の建設に伴う調査で発見されました。墳丘はほとんど残って居ませんでしたが、一辺10mほどの七世紀中頃の方墳と推定されます。主体部は小規模の横穴式石室が下側だけ残っていました。全長5.7m、幅1.2m、羨道幅0.8m、ほとんど無袖に近い両袖式です。古墳時代終末期としては大規模な石室であり、当時の乙訓地域の有力者が築いた最後の古墳と思われます。

古墳の残存状況

前側より

玄室奥壁

奧から


土辺古墳跡(下植野南遺跡)

 大山崎町円明寺、名神高速大山崎JC周辺は弥生〜古墳時代の下植野遺跡となっており、高速道の工事で弥生中期の方形周溝墓が80基以上検出されたほか、四世紀後半の土辺古墳が見つかりました。一辺13mの方墳で、周濠から入母屋造りの高床式家形埴輪【府指定文化財】が出土しました。高さ100cmで全面を赤く彩色し、庇を支える方丈が設けられた珍しい形態をしています。

説明板の位置

大山崎高速バス停下にある説明板

出土した家形埴輪


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