熊本県上天草市北部(旧大矢野町)の古墳


一本松古墳

 上天草市大矢野町上、大矢野島のほぼ中央、国道266号線沿いのダイソーの奧に古墳への登り口と説明板があります。丘陵上まで登ると、組合せ式箱式石棺が露出しています。161×70cmの大きさで、蓋石も残っています。天草地域では珍しい形態の石棺で、五世紀後半の築造と思われます。

古墳への登り口

箱式石棺が露出


長砂連古墳 【県史跡】【装飾古墳】

 上天草市大矢野町中字貝場7554、海に突き出した半島の丘陵上、金比羅宮の境内にあり、海を挟んで、広浦古墳、大戸鼻古墳群を望むことができます。昭和9年の社殿工事で発見されましたが、発見時すでに墳丘はなく、横穴式石室の石障だけが残っていました。石障は2.1×1.9mの大きさで、内側は縦方向に三列に区画され、屍床を形成しています。装飾は左右石障にあり、向かって右の石障には中央に直弧紋A型、その両側に直弧紋C型が浮彫されていて、それらの間に4個の刀掛け用の突起が彫り出されています(うち1個は消失)。向かって左の石障には中央に円紋、その両側に直弧紋A型を浮彫し、上縁を梯子紋で区画していますが、現状ではかなり磨滅しています。奧障には装飾はありませんが、阿蘇ピンク石を使用しています。石障は現在コンクリートで固められ、保護施設の中に保護されています。最近まで申し込めば見学可能でしたが、2013年から石室内環境調査のため、見学できなくなりました。

現在の姿(墳丘ではなく、保護施設)

向かって右石障の装飾


千崎古墳群 【管理人推薦】【市史跡】

 

 上天草市大矢野町維和字千崎3080、維和島の北の端、海を望む細長い丘陵上にあり、東尾根の麓の道路に説明板があります。古墳時代前期後半から中期前半に築かれた箱式石棺17、竪穴式石室1、横穴式石室6、不明2基からなり、おおむね南、東、北尾根の三つのグループに分かれます。南尾根の支群には1〜4号墳が分布します。1号墳は薮が酷く見つからず。2、3号墳は石室材が一ヶ所に集められており、元の姿は不明です。4号墳は尾根の最高所に築かれた箱式石棺です。

2号墳

3号墳

4号墳

 東側に分岐した尾根には5〜10号墳が並びますが、尾根上への登り道が東尾根の先端にあるため、実際には10→5号墳の順に見学することになります。5号墳は径6mの円墳で主体部は横穴式石室ですが、埋め戻されています。6号墳は石棺材が散乱しています。7号墳は横穴式石室の残骸が露出しており、未調査ですが、最大の石室と思われます。8号墳は箱式石棺の身が露出。尾根の先端のピークには9、10号墳の石棺が並んでいて、同一古墳の可能性はありますが、時期的には9号墳石棺のほうが先に築かれています。9号墳は石棺の身と蓋が良好に残っています。10号墳は群中、唯一箱式石棺が完存しています。調査の結果4体分の人骨が見つかりました。

5号墳

6号墳

7号墳

8号墳

9号墳、向こうに10号墳石棺

10号墳、向うに9号墳石棺

 南尾根と東尾根との分岐点から北の尾根の先端まで、11〜26号墳が並んでいます。11号墳は分岐点のピークに位置する箱式石棺で、石材が露出しています。すぐそばの12号墳は石室の石材が露出しています。13号墳は状態の良い石棺の身が露出し、蓋石も残っています。次のピークにある14号墳は箱式石棺の石材が散乱。鞍部にある15号墳は小さな箱式石棺の身と蓋石が露出。16号墳は、石棺材が散乱していますが、石室を伴っていたかも知れません。

11号墳、箱式石棺

12号墳、石室

13号墳、箱式石棺

14号墳、箱式石棺

15号墳、箱式石棺

16号墳、箱式石棺+石室?

 北尾根のほぼ中央のピークにある18号墳は箱式石棺が宮津亜熱帯植物園に移設されています。次の鞍部には19〜21号墳が道沿いに並んでいます。19号墳は石室石材が散乱しています。20号墳は箱式石棺の身の長側石が残っていて、その周りに石材が散乱しています。21号墳は身などの石棺材が露出しています。22号墳は次のピーク上にあり、箱式石棺の身が良好に残っています。24号墳はわずかにマウンドが残り、石材が露出しています。

18号墳、石棺は移設されている

19号墳、石室石材散乱

20号墳、箱式石棺

21号墳、箱式石棺、向こうに19、20号墳

22号墳、箱式石棺

24号墳、わずかなマウンドに石材露出

 北端のピークには25、26号墳があります。ともに箱式石棺の身が露出しています。26号墳の石棺は他とは違う特徴を持っています。

25号墳、箱式石棺

26号墳、箱式石棺


桐ノ木墓地古墳

 上天草市大矢野町維和、千崎古墳群の東300m、道路南側の尾根上に納骨堂と墓地があり、墓地の北端、丘陵先端部にあります。すでに墳丘はほとんどなく、組合せ式箱式石棺の一部が露出しています。幅73cmで長さは不明。内部は埋まった状態です。

墓地の北端、丘陵先端にある

箱式石棺が露出

石棺内部は埋まっている


広浦古墳 【装飾古墳】

 上天草市大矢野町維和字広浦、維和島の南端、海を隔てて長砂連古墳と大戸鼻古墳群を望む丘陵先端部に築かれたおそらく円墳です。水産加工場のところから道路を登っていくと、途中に標識があり、そこから丘陵先端へ下っていった先にあります。大正七年に発見後すぐに破壊され、放置されていた石棺材の中から装飾のある石材4枚が発見されました。うち2枚は熊本市の濟々黌高校所有で、現在は熊本県立美術館装飾古墳室に展示されています。さらに1枚は京都大学総合博物館が所蔵、もう1枚は行方不明で、おそらく現地の石材の中に埋もれているのでは?と考えられています。装飾石材の濟々黌第一石は棺身長側石に木製鞘に納められた大刀と刀子が浮彫されています。濟々黌第二石は同じく棺身長側石に、革製鞘に入った刀子、円紋、半円紋が浮彫され、すべてに柄が表現されています。

古墳付近から望む大戸古墳群のある下大戸ノ岬

古墳の現状、植物に覆われている

 

墳丘はなく、石棺材が積み上げられている

 

積み上げられた石棺材

装飾石材(濟々黌第一石)、大刀と刀子

装飾石材(濟々黌第二石)、右からすべて柄つきの刀子、円紋、半円紋


<ホームへ戻る>

 

inserted by FC2 system