佐賀県唐津市の古墳


谷口古墳 【国史跡】

 唐津市浜玉町谷口866-2、谷口公民館西の丘陵上にあります。全長77mの前方後円墳で、埋葬施設は後円部に長持形石棺を安置した竪穴系横口式石室が二基あり、前方部にも舟形石棺が埋納されていました。四世紀末頃の築造で、石室が竪穴から横口へ移行する初期の古墳です。石室は天井石がなく、石を側壁から合掌形に積み上げています。石室は普段見られませんが、浜玉町歴史資料館に石室のレプリカがあります。また、西石室の組合せ式長持形石棺の復元品が公民館にあります。

古墳の現状

西石室の画像(説明板より)

復元された西石室の長持形石棺

西石室の長持形石棺の画像(説明板より)


横田下古墳 【国史跡】

 唐津市浜玉町横田下743、デイサービスみらい南側の丘陵上にあります。五世紀前半頃の径30mほどの円墳ですが、大正年間に開墾で西〜南側が大きく削られ、横穴式石室が発見されました。九州でも初期の横穴式石室で、玄室長3.95m、幅1.8〜2.25m、高さ2.34mの大きさ。玄武岩の割石を平積みして持ち送り、全面に赤色顔料が塗られています。石室内には3つの石棺がありました。石室は現在、開墾時に発見された位置が覗けるようになっています。

石室は閉鎖

内部の様子、羨門付近?


島田塚古墳 【県史跡】

 唐津市鏡字今屋敷1728、恵日寺の北100mにありますが民家の裏にあり、行き方が難しいです。全長33.4m、後円部径17.4mの二段築成の前方後円墳で、後円部南に横穴式石室が開口。細長い羨道の先に、高い玄室があります。玄室長4m、幅2.74m、高さ3.27mの両袖式で、舟形石棺が安置されています。入口から覗いたところでは、玄室内は赤く塗られているようですが、内部を見た平家蟹さんによると、赤く塗られているのは側壁の下半分までとのこと。ひょっとしたら、羨道から見えるところだけ塗ったのかも?

墳丘、南向きに石室開口

石室内部羨道

赤く塗られた玄室奥壁と舟形石棺


樋の口古墳 【市史跡】

 唐津市鏡字山添、島田塚古墳の南700m、鏡山小学校の東の交差点にあり、目立っています。径30mの円墳で、主体部は県内では珍しい肥後型の横穴式石室です。石室入口に柵があり、内部には入れませんが、板石の玄門の向こうに赤く塗られた玄室奥壁や、玄室を前後に区画する仕切石などがかろうじて見えます。ここも内部を見た平家蟹さんによると、玄室は全面赤く塗られているそうです。羨道には閉塞石が手前に倒れています。

墳丘、交差点にあり、わかりやすいです

 

羨道

石室実測図

肥後型の玄室奥壁、赤いです


玉鬘古墳

 唐津市鏡字山添、樋の口古墳のすぐ南に標識があり、そこから斜面を50mほど登った竹林の中にあります。径13mの円墳で、横穴式石室が開口。腰石の上に小型の石材を極端に持ち送った玄室で、玄門もきっちり構築しています。奥壁の構成がちょっとアンバランスです。設計を間違ったか?奥壁の前に石棺材のような板石が並べられています。

石室開口部

羨道

石室奥壁

奧から玄門部


久里双水古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 唐津市双水字サコ2776-1、県道40号線沿いにあり、久里双水古墳公園として保存されています。1981年に発見された全長108.5m、後円部径62.2mの前方後円墳で、地山削り出しと盛り土で、自然地形をうまく利用して築かれています。後円部の墳頂にある竪穴式石室は2.6×1.0×1.0mの内法で、内部は赤く塗られ、天井石三枚で蓋をし、粘土で被覆していました。現在、その複製が公園内に展示されています。築造が三世紀末頃まで遡る可能性があり、日本でも最古級の前方後円墳として、発見時はかなり話題になりました。

 

前方部から後円部

竪穴式石室の複製


双水迫古墳群

 古墳群となっていますが、久里双水古墳の南東丘陵にあった5基の周溝墓で、現在は5号墓が久里双水古墳公園内に石棺が移設されています。四世紀後半〜五世紀に築かれた、久里双水古墳に続く時期の墳墓群です。

 


双水柴山古墳群

 久里双水古墳の南450mの西に伸びる丘陵上にある古墳群で3基からなり、久里双水古墳公園内に説明板があります。主体部は1号墳が横穴式石室、2号墳が割竹形木棺、3号墳が箱式石棺で、前期〜中期の築造です。

久里双水古墳から見た双水柴山古墳群(集落の向こう)

発掘調査中の古墳群(説明板より)


外園古墳 【市史跡】

 唐津市柏崎字外園、唐津ICの南東500m、集落の東はずれの薮地にあります。径10mほどの円墳で、切石状の石材で築かれた横穴式石室が開口していますが、開口部はフェンスで囲まれて近づけません。

石室実測図

石室奥壁側?


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