佐賀県鳥栖市の古墳


赤坂古墳 【県史跡】

 鳥栖市永吉町字赤坂805、全酪飼料鳥栖工場の南隣りにあります。三世紀後半の全長24mの前方後方墳で、周溝が巡ります。九州でも最古級の古墳と考えられています。

墳丘実測図

後方部、左側が前方部


剣塚古墳 【県史跡】

 鳥栖市田代本町、赤坂古墳の西100mにあり、直接行けます。全長80m、後円部径45mの六世紀中頃の前方後円墳で、周溝の痕跡も良く残っています。主体部は横穴式石室ですが、現在は埋め戻されています。

  左が後円部

  前方部から後円部


田代太田古墳 【管理人推薦】【国史跡】【装飾古墳】

 鳥栖市田代本町太田、おそらくほとんどの地図に載っています(民家の敷地内です)。径42mの円墳で、二段築成。道路側が少し削られています。主体部は南に開口する三室構造の横穴式石室で、全長9m、後室長2.8m、幅2.3m、高さ3.7mで三室とも天井が高く築かれています。入口には閉塞石も残っています。後室は奧・側壁の腰石に巨石を据え、後室に三体分、中室に二体分の屍床が設けられています。装飾は奥壁鏡石、後室両袖石前面、中室左側壁に見られます。左袖石には同心円紋と狩をする騎馬人物像、右袖石には同心円紋、舟に乗った人物、盾、高坏など、中室側壁材には赤色で舟が描かれています。毎年12月の第1日曜日頃に石室が公開されます。

公開日の石室前

前室から観察します

中室から後室奥壁方向

左袖石の狩をする騎馬人物像

後室の袖石と奥壁の装飾

 奥壁には鏡石全面に連続三角紋を配置し、中央に両手を掲げた人物二体、舟、同心円紋、騎馬人物、渦巻き紋など、下段に四個の盾などが赤、黒、緑の三色と岩肌の黄色を利用して描かれています。鏡石の左右上端の小さい石材にも赤い三角紋がはみ出して描かれています。

 


庚申堂塚古墳 【県史跡】

 鳥栖市神辺町字庚申堂261、田代大田古墳の北西150mにあります。全長60m、後円部径32mの六世紀中頃の前方後円墳で、二段築成、周溝もあったと思われます。葺石、円筒埴輪が見られ、後円部に横穴式石室があります。現在は入口が塞がれていますが、単室で持ち送りが大きく、内部は赤色に塗られていたそうです。

後円部

石室の実測図

後円部の石室開口部、入口は塞がれています

前方部から後円部


岡寺古墳(岡寺前方後円墳)

 鳥栖市田代本町字太田、田代大田古墳の東150mの太田観世音寺境内にあります。全長約80mの前方後円墳ですが、かなり改変されています。主体部は不明ですが出土した埴輪から六世紀前半の築造と思われます。

 


ヒャーガンサン古墳 【市重要文化財(考古資料)】【装飾古墳】

 鳥栖市弥生が丘7丁目の梅坂公園内にあります。元々は標高56mの丘陵上に所在していましたが、開発に伴い調査され、調査後は現在地に移設されました。径20mの円墳で、主体部は全長4.8m、玄室長3.1m、幅2.2m、高さ2.2mの複室構造で、両袖式。奥壁の巨大な鏡石にはベンガラでいくつかの紋様が描かれています。明確にわかるものは中央にある中が十文字の円紋、左右にある中心に点が描かれた円紋二個、右上の小さな円紋などで、これら以外にもベンガラが残っている処がありますが不明確です。毎年12月の第1日曜日頃に田代太田古墳とともに石室が公開されます。

 

石室実測図

奥壁の装飾紋様

現状の開口部

玄室奥壁


稲塚古墳 【管理人推薦】

 鳥栖市古賀町の若葉小学校西となりにあります。墳丘はかなり破壊されていますが、径20m以上の円墳と思われます。横穴式石室は道路の反対側に開口する複室構造で、特に後室は奧・側壁に巨石が使用されています。後室は天井が失われているので、上から見学できますが、石材の巨大さが良くわかります。後室はかなり広いので、おそらく天井部は持ち送っていたでしょう。これだけの石室なのに、なぜか無指定です。

道路沿いにある

道路の反対側が石室入口

中室から後室方向

後室奥壁

後室奧から、天井が抜かれ上から見学可能

中室から入口方向


百度塚(百道塚)古墳

 鳥栖市牛原町の農地の中にあり、現地に行けば、周囲に遮る物がないので、すぐわかります。墳丘は消滅し、横穴式石室の石組みが完全に露出しています。全長約8mの複室構造で、床面が1m以上は埋まっていそうです。

石室正面、完全に露出

前室から後室方向

後室奥壁

後室奧から


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