佐賀県吉野ヶ里町の古墳


東山古墳(石動二本松古墳群) 【管理人推薦】【町史跡】

 吉野ヶ里町(旧東背振村)大字石動字二本松1768-2、長崎自動車道北側にあるエフピコ九州工場の西隣の林の中にあります。径15mの円墳で、主体部は大型の横穴式石室が良好に残っています。全長約10m、後室長4m、幅3m、高さ3.5mくらいの複室構造で、後室奥壁は巨大な一枚石、側壁の腰石にも巨石を使用しています。全体的に石材をあまり加工せず、玄門の袖石も幅が広い石材をそのまま立てている印象です。

石室正面、羨道手前は破壊

羨道から前室

前室から後室

後室奥壁、巨大な一枚石、側壁腰石も巨大

後室奥から入口方向

前室から入口方向


西ノ田古墳

 吉野ヶ里町(旧東背振村)三津、肥前精神医療センターの南西側駐車場の隣にあり、今は伐採されているので、すぐわかります。径15mくらいの円墳で、主体部は横穴式石室です。羨道部は埋まっていますが、全長6m以上、後室長3m、幅2m、高さ2mくらいの複室構造で、後室奥・側壁はほぼ一枚石、なかなか状態の良い巨石墳です。さて、この北側の林の中にあるはずの下三津西古墳を私も探しましたが発見できませんでした(少なくとも県遺跡地図の場所にはない!)。ほんとにあるのか!?と思いましたが、平家蟹さんは発見したらしいので存在はしているようです。とはいえ、その平家蟹さんも西ノ田古墳は見てないので、この二つの古墳をどちらも見た人間が未だに存在しません。つまり、両者の位置関係がまだわかりません。関係者の今後の調査に期待します。

石室正面

前室から後室

後室奥壁、ほぼ一枚石

後室奥から


吉野ヶ里遺跡北墳丘墓 【国特別史跡】

 

 吉野ヶ里遺跡は吉野ヶ里町と神埼市にまたがる丘陵上に位置する弥生〜奈良時代の複合遺跡で、現在、弥生時代の集落跡が国営吉野ヶ里歴史公園として、整備公開されています。北墳丘墓は公園の北端にあり、発掘された状態のまま、展示施設内に保存されています。墳丘は南北40m、東西27m以上のほぼ長方形で、現在高2.5mですが、本来は4.5m以上あったと思われます。西側には墓道、南には立柱、祀堂があり、復元されています。埋葬施設は14基の甕棺が密集して見つかっています。銅剣やガラスの管玉など豪華な副葬品が出土し、弥生中期前半から中頃の歴代の首長など身分の高い人物が葬られていると考えられます。特にSJ1002甕棺は著名な有柄把頭飾銅剣が出土した吉野ヶ里の王の墓であり、展示館にもレプリカがあります。

  復元された墳丘(展示施設)、墓道、立柱、祀堂

墳丘と甕棺の位置

保存施設内部

左がSJ1054、右がSJ1004甕棺

SJ1002甕棺

吉野ヶ里遺跡甕棺墓列、前方後方墳(ST0568)

 北墳丘墓の南側には長さ600mにわたって、甕棺が二列に並んで埋葬されています。吉野ヶ里遺跡では、弥生前期には土壙墓、木棺墓、甕棺墓などが遺跡内各地に分散して造られますが、中期以降は、この場所が共通の墓地に設定され、甕棺の長大な墓地列が築かれていきます。

甕棺墓列、向こうに北墳丘墓が見える

甕棺の復元品

 吉野ヶ里遺跡の外環濠や内濠は古墳時代初め頃には埋没し、拠点集落としての性格を失います。その後、南側の丘陵に、前方後方墳4基や、方形周溝墓が築かれていきます。このうち、ST0568は全長40mの九州最大級の前方後方墳ですが、調査時すでに削平された状態でした。

 


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