桜井市忍阪地区の古墳


赤坂天王山古墳(15-C-44) 【管理人特選】

 国史跡。桜井市倉橋、尾根先端に築かれた東西45.5m、南北42.2mの三段築成の截頭方錐形方墳です。主体部は花崗岩の自然石で築かれた大型の横穴式石室が南に開口。全長14.9m、玄室長6.4m、幅3m、高さ4.2m、羨道長8.5m、幅1.8m、高さ2mの両袖式で、羨道はかなり土砂に埋まっていて、先端部はもう少し長いようです。玄室は墳丘のほぼ中央に位置し、奥壁は三段積み、床面には礫が敷かれています。内部に安置された凝灰岩製のくり抜き式家形石棺は2.4m×1.7m×1.2mの身に六個の形式化された縄掛け突起がついた高さ0.6mほどの蓋からなり、身の上片の前面にやや大きな孔が、他の三面に小さな孔が開けられています。六世紀末頃の築造です。

巨大な墳丘

石室開口部

玄室奥壁と家形石棺

玄門

石棺内部、身の上辺に小孔が開いている

羨道奥から、入口に閉塞石

赤坂天王山2〜5号墳(15-C-43、91、92、93) 【管理人推薦】

 1号墳の隣りに2号墳(15-C-43)があります。一辺25mの方墳で、横穴式石室の入口がわずかに見えています。玄室長約4.4m、幅1.8m、現高さ1.5m、羨道長4.9m、幅1.7mの規模で、内部はほとんど埋まっていますが、かつては内部に入れたようです。北側に3号墳(15-C-93)があります。径20mの円墳で、横穴式石室が南に開口。玄室長4.3m、幅2.5m、高さ2.6m、羨道長6m、幅1.7mの両袖式で、玄室内の敷石や羨道の閉塞石の保存状態が非常に良好です。3号墳の裏に4号墳(15-C-91)、5号墳(15-C-92)があります。ともに径10mほどの円墳で、西側の4号墳は、横穴式石室の破壊された跡らしい坑があります。

2号墳石室

3号墳

3号墳玄室奥壁

3号墳玄門

5号墳

4号墳

エンドウ山1号墳(14-D-145)

 桜井市倉橋、倉橋ため池の北岸の尾根上にあります。径8mの円墳で、花崗岩の切石で築かれた横穴式石室が開口しています。全長4.3m、玄室長2.5m、幅1.5m、高さ1.65m、羨道長1.8m、幅1m、高さ1.2mの両袖式で、奥壁・側壁とも二段積み、隙間には漆喰の痕跡が残っています。背後に2号墳と思われる石材が露出しています。

石室正面

真四角な玄室奥壁

玄門

2号墳?

越塚古墳(15-C-69) 【管理人推薦】

 奈良県史跡。桜井市粟原、下り尾集落の一番奥の丘陵先端に位置する径43.5m、高さ7mの二段築成の円墳で周溝、埴輪、葺石はありません。南南西に巨大な横穴式石室が開口。全長15.4m、玄室長5.2m、幅2.5m、高さ3.8m、羨道長10.2m、幅1.7m、高さ1.9mの両袖式で、花崗岩の巨石を使用しています。玄室床面には拳大の礫が敷き詰められ、奥寄りに凝灰岩製の組合せ式石棺の底石が残っています。

石室正面

羨道

玄室奥壁と石棺底板

玄室玄門、見上げ石が巨大です


狛大石古墳(15-A-151)

 桜井市狛、国道165号線を桜井東中学校前の交差点から南へ曲がり、近鉄線を越えて谷間を1km登ると、左側に高い石垣の民家があります。この石垣の下に1ヶ所開口している部分があり、その中に横穴式石室の奥壁付近が保存されています。幅1.5mくらいで、石積みもきちんと残っています。残そうと言う意志がなければ、このような保存処置は当然できないわけで、桃源郷のようなこの谷間の集落の住人の人柄が偲ばれます。

石垣の下に、石室開口。良く残してくれました。

石室奥壁

岩坂式シ山古墳(15-A-157)

 桜井市狛、狛大石古墳からさらに南へ進み、分岐路で右へ、川を渡ってすぐ左の農道を登っていくと、前方に杉林が茂った尾根筋に行き着きます。この尾根先端にあります。径15mの円墳で、横穴式石室が南東に開口。全長7.65m、玄室長4.1m、幅1.7m、高さ1.8m以上、羨道幅1.1mの両袖式で、完存しています。側壁は持ち送りが急ですが、石材が大きく、古い印象は受けません。狭い谷間の奧地に築かれたにしては立派な石室です。

石室開口部

羨道

玄室奥壁

玄室奧から


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