福岡県篠栗町・志免町・宇美町の古墳


長者の隈古墳 【装飾古墳?】

 篠栗町若杉、西浦池の南にある低い独立丘陵上にあり、単独で存在します。径15mの円墳で、主体部は複室構造の横穴式石室です。前室の天井部が開口していて、入室できます。前室は長さ4m、幅1.2mくらい。後室は長さ3m、幅2.5m、高さ3mほどの背の高い石室で、鏡石以外は小型の石材を持ち送っています。後室側壁に同心円紋が描かれているらしいので、探しましたが、左側壁のほぼ中央の石材に、それらしきものがありました。違うかも知れません。ただし、今の所、後世の落書き説が有力です。明治元年に新羅からの舶来品と思われる銅製鞍金具が出土しています。付近に須恵器の窯跡もあり、須恵器生産に関わった渡来系氏族の首長墓と思われます。2008年に調査され、報告書が出ています。

墳丘、前室部が開口

前室から後室方向

背の高い後室奥壁

後室奧から前室方向

前室から羨道方向

後室左側壁の同心円紋?


亀山古墳および石棺群

 1、3号石棺が町史跡。志免町別府二丁目98-2、志免西小学校西の亀山八幡宮境内にあります。径12.8mの円墳で、主体部は箱式石棺(1号石棺)です。内法で1.8×0.5m×0.4mの大きさで、特に蓋石が巨大で、内側には貴重な水銀朱が「惜しげもなく(説明板より)」塗られていました。現在内部が真赤に塗り直されていますが、こんなことして良いのか!?それとも石棺は復元?1号墳の周囲にも石棺が6基(説明板には4基、現状も4基)見つかっています。石棺群は弥生後期から古墳前期に築かれ内部にはすべて朱が塗られていました。1、3号石棺は九州でも最大級の箱式石棺だそうです。

整備された1号墳と1号石棺

塗り直された1号石棺内部

隣の石棺群

中央が3号石棺、手前の箱式石棺内部に朱が残る

七夕池古墳

 国史跡。志免町田富3-18、七夕谷古墳公園として整備されています。径29mの三段築成の円墳で、幅3.5mの空堀が巡ります。主体部は1.8m×0.8mの未盗掘の竪穴式石室で、内部には木棺が納められていました。被葬者は壮年女性で、内行花文鏡・琴柱形石製品・刀・玉類などが副葬されていました。四世紀末頃の築造です。すぐ南に光正寺古墳があります。

 


光正寺古墳 【管理人推薦】

 

 国史跡。宇美町光正寺二丁目4537-11、七夕池古墳のすぐ南にあり、光正寺古墳公園として整備されています。丘陵先端にある全長54m、後円部径34mの前方後円墳で、前方部二段、後円部三段、二段目のテラスまでは地山で、それより上は盛り土で築き、二段目斜面より上には葺石が施されています。埋葬施設は5基あり、後円部中央の第一主体部は大型の箱式石棺を川原石で囲み、出土した土器から三世紀後半、県内でも最古級と考えられます。第二主体部は第一の北東にあった箱式石棺ですでに消滅。第三は第一の南側に割竹形木棺、第四主体部は第三の南東の土器棺、第五主体部は第一西側の箱式石棺です。築造順は1→2・3→4→5と思われます。現在墳丘は本来の墳丘の上に盛り土で復元しています。

後円部から前方部、右奧に七夕池古墳がある

前方部から後円部

観音浦古墳群南支群17号墳

 宇美町ひばりが丘2-10、ひばりが丘東公園内にあります。観音浦ニュータウンの建設で調査された観音浦古墳群のうち、最も状態の良かった南支群17号墳が、整備保存されています。径14mの円墳で、主体部は複室構造の横穴式石室で、全長7m、後室長2.5m、幅2m、高さ3.2m、前室長1.5m、幅1.3mの両袖式で、前室は小さく、玄室は側壁を持ち送って高い空間を築いています。石材の積み方は一見乱雑ですが、墳丘があまり流失していないので、バランスを保っています。石室入口付近は破壊されていたため、現在トーチカのようにコンクリートで固められています。無粋なことこの上なく、どういう意図があったのか不明。

トーチカ化された石室入口

前室から後室方向

玄室奥壁

玄室奧から


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