大阪府大阪狭山市・狭山池出土石棺群


 大阪府大阪狭山市にある狭山池は日本最古のため池で、七世紀前半に築造され、その後、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸初期の片桐且元らによって改修が繰り返されてきました。大正・昭和・平成時代にも改修が行われましたが、その時、過去の改修時に中樋などに転用された古墳の石棺が多数出土しました。それらの石棺群は、現在大阪府指定文化財、大阪狭山市指定文化財に指定されて、すべてが狭山池の隣にある大阪府立狭山池博物館に展示されています。大正・昭和の改修で出土した石棺群は入口横に屋外展示。平成の改修で出土した石棺群は館内に展示されています。

 


狭山池石樋蓋(石棺A) 【府指定有形文化財】

 六世紀末〜七世紀前半。鎌倉時代の重源の改修時に石樋の蓋に転用された石材で、大正・昭和の改修で出土。214×118×55cmの大きさで、6個の縄掛け突起が付く。外形の加工が粗いため、家形石棺の蓋石ではなく、外面が地中に隠れる横口式石槨の石材と考えられている。加古川市の竜山周辺産の凝灰岩製。

 

大正・昭和の改修で出土した石棺群(屋外展示)

小口側


狭山池中樋放水部の石棺群 【大阪狭山市指定有形文化財】

 鎌倉時代に東大寺の僧・重源により狭山池が改修されたときに石樋に転用された石棺群で、大正・昭和の改修時に出土しました。

  石棺を並べた中樋の模型

 家形石棺蓋(石棺B)

 

大型の石材で、屋根の傾斜が45度ある

 比較的保存状態の良い家形石棺の蓋で、223×135×64cmの本体に6個の縄掛突起が付きます。小口側は樋として使用するために破壊されています。竜山周辺産出の凝灰岩製で、寸法や気泡のある材質が、石棺3の身↓とほぼ合致します。

 石棺身(石棺C、D)

 石棺C、Dはいずれもくり抜き式の身で、樋に転用するため、小口側が破壊されています。Cは186×102×60cm、Dは158×92×53cmの外寸です。

石棺C

石棺C

石棺D

石棺D

 石棺身・蓋(石棺E、F、G)

 石棺Eは167×75×57cmの小型の石棺身ですが、穴が開けられていて、特別な役目を持った樋と思われます。石棺Fは180×112×40cmの大きさで、身とされていますが、厚さが薄く、裏側の加工が雑なため、石棺材かどうかは疑問があるそうです。石棺Gは縄掛突起を持つ家形石棺の蓋の一部で、約4分の1に破壊されていますが、どのような用途があったのかは不明です。

石棺E、穿孔されている

石棺E、小口側

石棺F、石棺身?

石棺F

石棺G、蓋の一部

石棺G、小口側


狭山池中樋遺構出土石棺群 【大阪府指定有形文化財】

 平成の改修において、中樋の取水部から10基の石棺、及び石碑が出土しました。これらの石棺群は、鎌倉時代の改修時に上記の放水部とともに、石樋として転用されたもので、さらに後世に中樋取水口両側の護岸に再転用されたものです。

  鎌倉期の本来の石樋模型

  後世に再転用された護岸模型

  西側の石棺群

 石棺身(石棺1、2)

 向かって左端の石棺1は二上山産出の凝灰岩製くりぬき式石棺の身と思われます。現存サイズ201.5×127cm×63cmで、内面に高価な水銀朱が塗られていることから、かなりの権力者の古墳から掘り出された可能性が高いです。上段左側の石棺2は加西市産出の凝灰岩製くり抜き式石棺の身です。227×122×87cmの大きさで、加工面は平滑に仕上げられた優品です。小口側が破壊され、本来は石樋に転用されていたと思われます。

石棺1

石棺2

石棺1、2の反対側

石棺1に残る水銀朱

 石棺身(石棺3、4、5)

 上段右側の石棺3は竜山石製のくり抜き式石棺身です。222×130×100cmの大きさで、表面はほぼ完璧に平滑に仕上げられています。気泡質の石材である点や寸法から考えて、石棺Bの家形石棺蓋と本来は対であったと思われます。小口側は樋に転用するために破壊されています。向かって右下に後世の「野猿大響」の墨書が残っています。下段左側の石棺4は竜山石製のくり抜き式石棺の身で、226×113×79.5cmの大きさ。表面は平滑に仕上げられていますが、露出した底面に額縁状の彫り込みがあります。その右の石棺5は竜山石製の石棺材ですが、身か蓋か判別が困難です。表面の加工が粗く、露出面が丸みを帯びていることから、家形石棺の蓋の未製品と考えられています。

石棺3、気泡質の石材

石棺3の小口側

石棺4、額縁状の彫り込み

石棺5、加工面が粗い

  東側の石棺群

 石棺身(石棺6、7)

 護岸東側の上段左端にある石棺6は竜山石製のくり抜き式石棺の身の一部と思われます。現状で134×138×64cmの大きさで、大きく破壊されていますが、石棺としては丁寧に加工されています。右となりの石棺7は同じく竜山石製のくり抜き式石棺の身で、大きさは199.5×98×68cm、石樋に転用された際に他とは違う加工がされています。小口側の破壊は片側だけで、底の部分に二つの丸い孔が開けられています。おそらく、石樋の先端部分にあたり、孔には木の柱が差し込まれて、取水口として利用されていたと思われます。

  裏から、右が石棺6、左が7

孔が二つ開けられた石棺6

石棺6の裏側

 石棺身(石棺8、9)

 下段左端側にある石棺8は竜山石製のくり抜き式石棺の身の一部と思われます。現状で244×119.5×82.5cmの大きさで、他の石棺材と比べると仕上げ方が粗い印象です。右となりの石棺9は同じく竜山石製のくり抜き式石棺の身で、大きさは263×128×96cm、大型の石棺材ですが、これも仕上げ方は粗めです。その上にある小さな石材は「重源狭山池改修樋(大阪府指定有形文化財)」が転用されたもので、中世の金石文として貴重な資料です。

石棺8

石棺9、その上に重源狭山池改修樋のレプリカ

 石材(石棺10)

 中樋遺構の中央にあり、中樋本体の先端を載せていた石材です。金剛山麓付近の閃緑岩製で、259×160×35cmの大きさ。石棺材ではなく、横口式石槨の一部と考えられます。

石棺10

実物大復元模型、本来は石棺転用石樋を載せていた


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