滋賀県大津市(旧志賀町)曼陀羅山古墳群


 曼陀羅山古墳群は、旧大津市と旧志賀町の境界上に位置する曼陀羅山とその周辺に広く分布する5群117基からなる群集墳です。曼陀羅山周辺の緑地内だけではなく、西麓の開発された団地内や、北側に隣接する比良ゴルフ倶楽部内にも古墳が保存されています。

ゼニワラ古墳

 小野妹子公園からまっすぐ西へ向かい、曼陀羅山へ突き当たる手前の公民館裏から少し登ると、大型の墳丘があります。径20.5mの円墳で横穴式石室が開口しています。羨道がかなり埋まっていますが、石室はほぼ完存しており、玄室長4.42m、幅2.17m、高さ2.45m、羨道長4.3m、幅1mの右片袖式です。壁はブロック状の石材を積み上げ、やや持ち送りがみられます。曼陀羅山古墳群では最大の石室で、六世紀第3四半期の築造とみられます。

巨大な墳丘

狭い羨道

玄室奧から

玄室奥壁


曼陀羅山34号墳

 曼陀羅山の北端が比良ゴルフ倶楽部とぶつかる位置に、ゴルフ場のフェンスが1基の古墳を避けるようにへこんでいます。これが34号墳です。径11mの円墳で、横穴式石室が西向きに開口しています。玄室長3.1m、幅1.4m、高さ1.4m、羨道は埋まっていて、袖形式は不明です。割石を水平に積み上げ、持ち送りがあります。100m東に35号墳がありますが、ゴルフ場のフェンスの中です。ここから、北のゴルフ場内に、曼陀羅山から連なる尾根が続いており、前間田、ヨウ、石釜の各古墳群が存在します。

石室開口部

玄室奥壁


曼陀羅山北古墳群

 曼陀羅山尾根筋の北端にあり、5基からなりますが、4号墳で横穴式石室がほぼ完存しています。径20mの円墳で、石室は西に開口し、玄室長4.4m、幅2m、高さ2m、羨道長2.4m、幅0.9mの右片袖式で、奥壁、側壁は割石を持ち送りながら積み上げています。床面には、石棺片らしい石材が放置されています。他には、大きな墳丘を持つ3号墳?が隣接しますが、それ意外の古墳は、不明確です。

西に開口

玄室奥壁

奧から、前壁が開口

石棺片?


大塚山北古墳群

 曼陀羅山北古墳群から鞍部を挟んで南の尾根上にあり、3基からなります。このうち、1号墳の横穴式石室が開口しています。径20mの円墳で、石室は羨道と玄室の前側が崩壊していますが、玄室奥壁付近がかろうじて保存。玄室幅1.6m、高さ1m以上、南に開口しています。北西30mに、2、3号墳が隣接しています。

1号墳、石室はかなり崩壊している

玄室奥壁付近

玄室奥壁付近


和爾大塚山古墳

 曼陀羅山の最高所(標高191m)にある全長72mの前方後円墳です。二段築成で前方部がバチ型に開き、四世紀末頃の築造です。

 


団地内の古墳群

 曼陀羅山北古墳群のあたりから、西側の団地を見ると、所々に古墳が残されているのが分かります。とりあえずは、周りを削られ、擁壁に囲まれた2基の古墳を訪問。ともに径15mほどの円墳と思われますが、残念ながら立入禁止状態です。南100mくらいの住宅の隙間にも円墳が1基、また、真野北小学校の北側にも古墳数基が自然地形のまま、保存されています。しかし、いずれもまわりをフェンスで囲まれ、立ち入りはできないようです。古墳を保存するのは良いのですが、公園にするなどして、もっと触れあえるようにしてほしいものです。

団地内に、明らかな古墳を発見!

左の画像の左側の古墳

上の画像の右側の古墳

住宅地の中の古墳

 2013年に真野北小学校の北側に現状保存されていた5基が開発されることになり、調査されました。西端の1号墳は横穴式石室の奧側が良好に残っていました。2、3号墳は横穴式石室の基底部のみ。2号墳には床の排水溝も残っていました。4号墳は、ほとんど破壊され、石材1個と床面の礫のみ残存。5号墳は玄室の美しい石組みが残っていますが、なぜか奥壁が抜かれています。結果的に、5号墳のみが現地保存されることになりました。

   左から4、5号墳

5号墳の横穴式石室

破壊される2号墳

破壊される1号墳

1号墳の横穴式石室


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