愛媛県四国中央市東部(旧川之江市)の古墳


  主要な古墳の位置

向山古墳 【管理人特選】【県史跡】

 四国中央市(旧川之江市)金生町下分向山218-1、旧川之江市役所から東へ進み、金生川を渡って左へ川沿いに50mほど進むと、右側の丘の上に石室が見えています。金生川に面した丘陵斜面にある40m×29mの長方形墳と見られていましたが、最近の調査でもともとは70m×46mの規模と判明しました。七世紀前半の築造で、大型の横穴式石室が東西に2基並んだ双室墳ですが、確かに現状では二基の石室が離れすぎている感じがします。西の1号石室は全長11m、玄室長4m、幅2.4m、高さ2.5m、羨道長7m、幅2.2〜2.8m、高さ1.7mの両袖式で、奥壁、側壁、天井に巨石を使用した四国最大級の石室であり、ほぼ完存しています。東の2号石室はかなり破壊され、内部も埋まっていますが、露出した天井石はかなり巨大で、推定全長15m、完存していれば、1号石室以上の巨大石室なのは間違い有りません。内部の発掘調査が待たれます。なお、元2号石室の巨大な石材が現在城山公園の「尾藤二洲記念碑」に転用されています。現在国史跡をめざして調査中で、将来は公園として整備されるそうです。過去の出土品は四国中央市考古資料館に展示されています。

左が西の1号石室、右奥が2号石室

1号石室羨道

1号石室玄室奥壁

1号石室玄門部、奥より

2号石室正面

2号石室、奥側から


宝洞山1号墳(天生津古墳) 【市史跡】

 四国中央市(旧川之江市)川之江町大門字宝洞山3102-1、四国中央病院南の宝洞山南斜面にあります。斜面を削り取った土を盛り上げて築かれた径20mの円墳で、横穴式石室が南に開口。入り口は狭いですが、内部は大型の石室で完存しています。全長8.5m、玄室長4.1m、幅1.8m、高さ1.9m、羨道長4.4m、幅1.3m、高さ1.5mの両袖式で、奥壁や天井には巨石を使用しています。

1号石室正面

羨道

玄室奥壁

玄門部、奥より


宝洞山2号墳

 四国中央市(旧川之江市)川之江町大門字宝洞山3112-2、1号墳の北側、四国中央病院裏山の住宅地の真ん中に保存されています。径23mの円墳で、背後には周濠らしい地形が見られますが、宅地開発で、よくぞ背後の地形まで残したモノです。横穴式石室が南に開口、内部は土砂が流入してかなり埋まっています。羨道は破壊されていて、玄室だけが残っているようです。玄室長3.2m、幅2.5m、羨道長1.8m、幅1.2mの両袖式で、天井、奥壁は巨石を使用しています。

石室正面

玄室


お姫山古墳

 四国中央市(旧川之江市)川之江町片上山3113-2、四国中央病院南の住宅街の中に取り残された裏山頂上部にあります。向山古墳の北200mです。南側の民家裏から登り道があります。径23mの円墳で、端華の森古墳と同じく、2基の横穴式石室が直交して築かれています。1号石室は南西に開口し、玄室長3.1m、幅1.9m、羨道長3.4mの規模です。羨道部はかなり埋まっていて、玄室は側壁にわずかに隙間があり、かろうじて、デジカメをつっこんで撮影したところ、かなり小さめの石材で築かれています。2号石室は、南東に開口し、現在は玄室左側壁と玄門柱石だけが残っています。残存する玄室長3.5mで、ほぼ同規模と見られます。出土品は近くの高原ふるさと館に展示されています。

1号石室正面

1号石室玄室

1号石室羨道

2号石室


住吉古墳 【市史跡】

 四国中央市(旧川之江市)金生町下分松木1112、墳丘が現在、住吉神社となっています。平地に築かれた古墳で、大型の横穴式石室の石材が石垣の一部として露出しています。神社の裏側に石室が開口していますが、鉄扉のため内部には入れません(ここの扉は群馬県藤岡市の諏訪神社古墳と同じ閉め方なので、同じ方法で開けることは可能)。奥壁の石材の隙間からかろうじて内部を覗くことができます。全長9.3m、玄室長5.3m、幅2.3m、高さ2m、羨道長4m、幅1.7mの両袖式で、床面は少し埋まっていそうです。露出した奥壁の一部は積み直されているそうです。

墳丘上に住吉神社が鎮座、立て札の後ろが奥壁部分

奥壁の隙間から覗いた玄室

神社裏側の石室開口部

羨道より玄門部


山口古墳群

 四国中央市(旧川之江市)山口、三島・川之江インター南東側の水田の中に1号墳が、その南200mの山口団地奥に4号墳があります。1号墳は、周囲を削られていますが、横穴式石室が良く残っています。玄室の側壁が開口していて中に入れますが、平家蟹さんが石棚を見落とすほど内部は雑草が茂っていたので、とりあえず刈っておきました。内部は玄室長5m、幅2mほどの両袖式で、奥壁に石棚がありますが、古い写真と比べると、ちょっと傾いてきています。4号墳も周囲を削られていますが、径20m近い墳丘で、墳丘上に石棺材らしい結晶片岩で社が築かれています。

1号墳側壁の開口部

1号墳奥壁側、石棚がある

1号墳玄門部

4号墳


朝日山古墳(原峰1号墳) 【管理人推薦】【県史跡】

 四国中央市(旧川之江市)金田町西金川上ノ山120、山口古墳群の東にある老人ホーム樋谷荘から南へ三角寺をめざして500mくらい山を登っていった右手の民家裏にあります。径17mの円墳で、横穴式石室は玄室長4.5m、幅2m、高さ2.4m、羨道長2.5m、幅1.6m、高さ2mの両袖式で、玄門は柱石とまぐさ石で区切られています。奥壁は巨大な結晶片岩の1枚石で、側壁は大きめの腰石の上に小型の割石をやや持ち送って積み上げています。羨門も含め保存状態は良好です。石室の前に巨石が置かれていますが何なのでしょう?


<ホームへ戻る>

 

inserted by FC2 system