愛知県新城市・設楽町の古墳


旗頭山尾根古墳群 【管理人推薦】【県史跡】

 

 豊川左岸、一宮町と新城市の境にある旗頭山尾根上に分布。40基中、24基が県史跡として町営墓地内に保存されています。山の上部の19〜24号墳はすべて積石塚で、下部の1〜18号墳も石材と土を併用して外見上積石塚に見せています。25号墳以上は採石場で破壊されましたが、26号墳のみ、新城市の桜淵公園青年の家前に移築保存されています。

移築された26号墳、径8.5mの円墳で上部は復元

26号墳石室、全長4.5m、幅0.8m


庭野古墳群 【市史跡】

 新城市庭野の庭野神社境内にあります。社殿右側にある1号墳は径10mの円墳、左側手前にある3号墳は径12mの円墳で、いずれも墳丘がわずかに残っています。左側奧にある2号墳は径11mの円墳で、唯一石室の石材が露出しています。

1号墳

3号墳

2号墳

2号墳、石材露出


摩訶戸古墳群 【管理人推薦】【市史跡】

 

 新城市一鍬田の摩訶戸神社周辺に15基中8基残存。1号墳は神社裏の林を突き抜けた場所にあり墳丘、石室ともに群中最大です。径12mの腰高の円墳で玄室長4.5m、幅2m、高さ1.7mの横穴式石室は入り口は狭いですが、内部は丁寧に石を積み上げた玄室が完存しています。

補強された石室入口

羨道

玄室奥壁

玄室奧から

 1号墳の東100mの畑の中に2号墳がありますが、北側の道路から大きく遠回りする必要があります。径10mほどの円墳で、墳丘はやや破壊されています。

 

 摩訶戸神社の南に江泉院があり、その南東の丘陵尾根上の山林と畑の境界線に沿って9〜12号墳が並んでいます。いずれも径10m前後の円墳ですが、薮に覆われており、状態の良い物はなさそうです。

9号墳

10号墳

11号墳

12号墳

 9〜12号墳のある丘陵南側の集落内の二軒の民家の庭にそれぞれ13、14号墳があります。いずれも庭化しています。

13号墳

14号墳


勝変塚古墳 【市史跡】

 新城市一鍬田字実盛52、正法寺の東150mの宇利川沿いの畑の中にあります。現状で径8mの円墳ですが、周囲をかなり削られています。墳丘上には横穴式石室の天井石が露出しています。別名「小便塚」とも言うらしい・・・。

宇利川沿いにある墳丘

天井石が露出


地蔵山古墳群 【市史跡】

 新城市八名井字滝ノ入山下、八名井神社東の谷川に沿って南へ登って行った左側の尾根先端にあります。6基からなりますが、確認できたのは5基です。民家裏の柵に囲まれた果樹園の中に仮称1、2号墳があります。いずれも低いマウンドに石材が露出しています。果樹園の向こうの山林の中には3基の古墳があります。尾根の登り道に墓地があり、破壊された墳丘がわずかに残っています(仮称3号墳)。そのすぐ上に仮称4号墳の大きな墳丘が残っていて、横穴式石室の天井石が露出しています。内部は完全に埋まっています。その南側には仮称5号墳があります。墳丘は半壊状態で、破壊された横穴式石室が露出しています。

古墳群のある尾根先端

仮称1号墳

仮称2号墳

仮称3号墳

仮称4号墳

仮称4号墳、露出した天井石

仮称5号墳

仮称5号墳、石室露出


大原古墳群 【市史跡】

 新城市大原バス停の西200mの道路沿いに2基の古墳が並んでいます。ともに径18mの円墳で墳頂に石材が露出しています。1号墳は別名夜泣石古墳と呼ばれ、墳頂の石材が夜泣き出すという伝説があります。

左が1号墳

1号墳墳頂の石材「夜泣石」


川田原古墳群 【市史跡】

 新城市川田字本宮道、豊川市との境界近くで県道21号線が直角に曲がる本宮道交差点の周辺の広い範囲に分布する34基からなる群集墳です。しかし、一部は工場の中にあるらしく、容易に見学できません。見学しやすいのは、交差点から北へ進むと右側に養鶏場があり、その北側の山林内に4基の古墳が確認できます。うち2基で半壊した横穴式石室が残っています。

小さな石室が露出

左の石室横から

石室の奥壁付近が残存

左の石室の奥壁

石室跡が陥没した古墳

石材散乱した古墳


茶臼山古墳群 【市史跡】

 新城市牛倉字城山、茶臼山の山上にある3基からなる古墳群ですが、容易に見学できるのは1号墳のみです。茶臼山は設楽ヶ原の合戦(長篠の戦い)で織田・徳川連合軍と武田軍が戦った際に織田信長が本陣を張ったところで、山頂は史跡公園となっています。西の麓から登っていく道路があり、山の南端で大きくUターンするところから50mほど山林の中へ入っていくと1号墳があります。墳丘は南側が破壊されていて、半壊した横穴式石室が露出しています。2号墳は滅失、3号墳は、地図では山頂となっていますが、山頂は平坦面であり、所在不明です。

1号墳、石碑が建っている

1号墳、石碑の下に石室露出

1号墳、玄室奥壁

山頂の小山、この上に3号墳?


断上山古墳群 【県・市史跡】

 9、10号墳は愛知県史跡。1〜8号墳が市史跡。新城市竹広の断上山に分布する10基からなる古墳群で、見学しやすい古墳としては東郷中学校のバレーコートの東に9号墳(粕塚)、山頂に10号墳(物見塚)があります。このあたり一帯は設楽が原と呼ばれ、長篠の戦いで、武田騎馬隊と織田・徳川連合軍の鉄砲隊が激突したところです。古墳群のある断上山はその時家康の本陣となったところで、県史跡に指定されている理由は、おそらくそちらのほうが大きな理由のような気がします。古墳からは、決戦場が見おろせ、近くには馬防柵も復元されています。9号墳は径18mの円墳で、前期古墳と考えられています。10号墳は、50m北西にある全長50m、後円部径30mの前期前方後円墳で、比較的保存状態が良く、後円部の周溝が良好に残っています。ここから北の方へ、1〜8号墳が離れて存在しますが、明確に古墳らしいのは石座神社裏山の3号墳くらいです。

9号墳(粕塚)

10号墳(物見塚)

10号墳の周溝

3号墳


丸根古墳

 東三河地方から木曽谷へ抜ける山間部の途中に、名倉平と呼ばれる広い盆地があり、いくつかの古墳が点在します。そのうち、町史跡に指定されている2基の古墳が見学しやすく整備されています。

 丸根古墳は設楽町東納庫、名倉小学校の南の斜面の道路沿いにあります。径11mの円墳で、小型の横穴式石室が開口。全長4.31m、玄室長1.52m、幅1.15m、羨道長2.79m、羨道は埋まっていて、玄門上部が開口、狭くて内部には入れません。小さいのに、羨道が玄室の二倍の長さがあり、羨門には、天井から遊離した石材が構架されています。七世紀初め頃の築造です。

きれいに保存された墳丘

石室内部


屋木下古墳 【町史跡】

 設楽町西納庫、名倉小学校の北500m、国道257号線の西200mの林の中にあります。径7mの円墳ですが、土取り中に発見されたため、墳丘は半分削られたままです。削られた崖面に横穴式石室の奥壁側が開口。全長3.2m以上、幅1.02m、高さ1.1mの無袖式で、奧には閉塞石がそのままの姿で残っています。六世紀中頃の築造です。説明には七世紀初めと書かれていますが、そんなことはないでしょう。

左上に石室が開口している

石室内部、一見奥壁に見える閉塞石


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