宮崎県新富町・新田原古墳群祇園原古墳群Aグループ


新田原古墳群 【国史跡】

 新富町新田から西都市右松にかけて広がる新田原台地に分布する207基からなる大古墳群で、前方後円墳25、方墳2、円墳180の計207基が確認されています。地区別に塚原、石船、山之坊、祇園原の4つの古墳群に分かれています。

 祇園原古墳群Aグループ

 

 祇園原古墳群Aグループは祇園原地区集会場の周辺に広がる最大規模のグループで、円墳138、前方後円墳14、方墳1の計154基からなります。多くは六世紀代の築造です。北端近くにある92号墳(大久保塚古墳)は全長84mの大型の前方後円墳です。五世紀代の築造です。くびれ部に造出しがあり、周溝が巡ります。南100mにある67号墳は全長28mの帆立貝式古墳、東の隣にある68号墳は、前方部が大きく発達した前方後円墳で、六世紀の築造です。

92号墳、大型の前方後円墳

67号墳、帆立貝式古墳

68号墳、前方後円墳、右側が発達した前方部

 67号墳の西側には64、65、114、115号墳があります。65号墳は小型の前方後円墳です。68号墳の東の方には58号墳が見えています。全長約50mの前方後円墳です。

64号墳、円墳

65号墳、前方後円墳

115号墳、円墳

58号墳、前方後円墳

 祇園原古墳群のほぼ中央に59号墳(百足塚)があり、史跡公園となっていて、ここに駐車場、説明板があります。59号墳は全長82mの前方後円墳で、前方部が発達しており、二重の盾形周溝と周堤が巡っています。西側くびれ部に土橋があり、その先の後円部に横穴式石室(未調査)があります。西側の周堤に多数の形象埴輪群が発見され、復元された配置は今城塚古墳との共通性が見られます。また、これらは祭祀後周溝に投棄されたと考えられています。となりに62、63号墳が並んでいます。62号墳は径15mの円墳で周溝が巡ります。主体部は未調査ですが、周溝から出土した埴輪は59号墳と同じなので、59号墳と同時期に築かれた古墳です。63号墳は径28mの二段築成の円墳で、周溝が巡り、一部が二重になっていました。こちらには埴輪が無く、59、62号墳の後に築かれたと思われます。

59号墳、前方後円墳

59号墳の周辺図

62号墳、円墳

63号墳、円墳

 59号墳(百足塚)のすぐ南西にある56号墳(水神塚)は前方部の発達した全長30mほどの前方後円墳で、六世紀の築造です。その西側には116号墳があります。形の良い径20mの円墳です。56号墳(水神塚)の南には、小さな円墳の53号墳を挟んで、52号墳があります。全長50mほどの前方後円墳です。

56号墳(水神塚)、前方部の発達した前方後円墳

116号墳、大きな円墳

52号墳、前方後円墳

53号墳、奧の大きな古墳は52号墳

 52号墳の東に小円墳の54、55号墳が並んでいます。55号墳の向こうの方には前方後円墳の47号墳(機織塚)が見えています。52号墳の南方に48号墳(弥吾郎塚)があります。全長62mの大きな前方後円墳で、盾形周溝の痕跡が明瞭に残っています。48号墳の西側には小円墳49〜51号墳が隣接していて、陪塚と思われます。

54号墳、円墳

55号墳、円墳、奧に前方後円墳の47号墳(機織塚)

54号墳(弥吾郎塚)、大型の前方後円墳

左から50、51、49号墳、いずれも円墳

 48号墳西方の農地には204、172、173号墳があります。また、59号墳の西300mくらいの農地の中に120〜123号墳が密集しています。

204号墳、円墳

左が173号墳、右が172号墳、ともに円墳

右が120号墳、左が121号墳、やや大きめの円墳

右が122号墳、左が123号墳、小円墳


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