熊本県宇城市西部(旧不知火町・三角町)の古墳


鴨籠古墳 【管理人推薦】【市史跡】【装飾古墳】

 

 旧不知火町長崎、白梅幼稚園の背後の丘陵先端に築かれた五世紀後半の径25mの円墳です。古墳へは、幼稚園の反対側の丘陵上の道路から案内標識がでています。埋葬施設は切石で囲った3.4×2.4×1.7mの竪穴式石室の内部に長さ1.7mのくり抜き式舟形石棺が納められていました。現在、石棺の実物は、熊本県立美術館の装飾古墳室にあり、自由に見学できます。装飾は蓋外面に線刻で、直弧紋、円紋、梯子形紋を描き、赤、青色で彩色しています。また、身は真赤に塗られています。岡山市の造山古墳前方部石棺との共通性を指摘する説があります。

直弧紋などが線刻されたくり抜き式舟形石棺

湯船のような竪穴式石室

蓋石長辺側斜面の線刻

蓋石の小口側斜面の線刻

蓋石反対側の長辺側斜面の線刻

蓋石の小口側斜面の線刻


国越古墳 【県史跡】【装飾古墳】

 

 旧不知火町長崎国越581-14、鴨籠古墳の南西1km、理化電子九州事業所の隣にあります。不知火海に面した丘陵上に築かれた全長62m、後円部径36mの前方後円墳で、円筒埴輪、形象埴輪が出土しています。主体部は後円部の南に開口する横穴式石室で、玄室長2.85m、幅2.16mの単室構造、天井は失われていました。奥壁前には石屋形風の家形石棺と、その前の空間にコの字に仕切られた屍床があります。装飾は石棺の蓋外面に方形の彫り窪めと赤く塗られた鋸歯紋、袖石前面と奥壁正面には枠取りした中に鍵の手紋などを描き、赤・青・白・緑色で彩色しています。奥壁には二個×二段の刀架け用の突起がありますが、3個が削り出しで、1個だけはめ込みです。加工に失敗しましたね。この突起にも彩色紋様を描いています。すばらしい意匠の装飾ですが、残念ながら、昭和41年の調査後埋め戻されて、見ることができず、なぜか写真すら見たことがありません(実測図はあり)。なお、玄門部には閉塞石が残っており、見事な把手が掘り出されています。六世紀前半頃の築造です。

石室羨道部、ややハの字に開く

玄門部の閉塞石

閉塞石の把手


桂原1号墳 【市史跡】【装飾古墳】

 旧不知火町長崎白玉、国越古墳の南西1km、標高65mの果樹園の中の道路沿いにあります。不知火海を一望に望む丘陵上に築かれた径13mの円墳で、主体部は単室の横穴式石室です。全長5.85m、玄室長2.48m、幅2.5m、高さ2.1m、奥壁には1.3mの高さに石棚があり、玄門は板石の中央を四角くくりぬいています。開口部近くの石材は一部積み直されているそうです。装飾は奧壁一ヶ所に同心円紋と舟を白と黒の顔料で描き、玄室西側壁に四ヶ所、東側壁に八ヶ所、南側の玄門に四ヶ所、石棚上面に一ヶ所、羨道西側に一ヶ所、すべて線刻で舟が描かれています。被葬者の性格を表していますね。石室は普段、施錠されています。


桂原2号墳 【市史跡】【装飾古墳】

  羨道右側壁の舟の線刻画

 旧不知火町長崎白玉、1号墳の東50mにありますが、こちらは雨曝しです。墳丘はすでになく、横穴式石室の一部だけが残存しています。玄室は2×1.4mの大きさで、袖石と閉塞石が残っています。羨道は残存長1.3m、幅1mで、一個残った西側壁材にマストを立てた舟の線刻画が残っています。一部土の中に埋まっていて、全体的にわかりにくいですが、波や梯子の表現もあるようです。

石室正面、閉塞石が残る

奧側から

舟の線刻画のある西側側壁材


小田良古墳(チンカンサン) 【国史跡】【装飾古墳】

 宇城市三角町、国道57号線に標識が出ています。有明海を望む丘陵先端に築かれた径20mくらいの円墳と思われますが、墳丘はすでに失われています。埋葬施設は横穴式石室ですが、四方の石障と屍床だけが残っていました。内法で1.9×1.85mの大きさで、四面の石障すべてに線刻画があり、奧障には円紋3と靫2と盾2が左右対称に並び、前障にはU字のくり込みがあり、その両側に円紋2、向かって右の石障に円紋3。左に円紋4が、すべて二本の横線内に描かれています。円紋には中心に孔、上下に二本の紐の表現があります。石室は現在埋められていますが、装飾古墳館に精巧なレプリカがあります。

古墳の現状、屋根は最近できたらしい

装飾古墳館の石室レプリカ

奧障の装飾図

奧障の装飾、靫、円、盾、円、盾、円、靫と左右対称に並ぶ

奧障の装飾、左側の靫、円、盾

奧障の装飾、右側の円、盾、円、靫

前障の装飾図

前障の装飾、円紋2

右側障の装飾図

右側障の装飾、円紋3のうち、左側の2個

左側障の装飾図

左側障の装飾、円紋4


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