京都府南丹市(旧園部町)の古墳


園部黒田古墳

 旧園部町黒田の太陽機械工業園部工場の隣にあります。工場建設時に発見(京都府遺跡地図には出ていない)、調査され、その後、公園として保存されています。全長52mの発生期の前方後円墳で、後円部は楕円形、前方部はバチ形をしています。埋葬施設は二ヶ所有り、第一主体部は二段の墓坑に木棺が納められていました。第二主体部はその北側に後の時代に築かれた物です。太陽機械工業のHPでも紹介されています。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部、埋葬施設は写真で展示

垣内古墳

 旧園部町内林の厄神宮境内とその前の交差点にまたがって存在していた四世紀後半の前期前方後円墳ですが、地上部分は完全に消滅し、現在は神社境内に「垣内古墳祉」の石碑だけが残されています。全長82m、後円部径50mの大きさで葺石、埴輪列を持ち、主体部は粘土槨に割竹形木棺が納められていました。銅鏡、玉類、鉄製品など豊富な副葬品一式は重要文化財に指定されています。2005年の発掘調査で周濠と島状遺構が見つかっています。

 

新堂池古墳群

 旧園部町新堂、新堂の集落から北西の谷間へ進むと大きなため池があり、その周囲の山林内にいくつかの支群に分かれて分布しています。最も見学しやすいのはため池の奧の尾根先端にある3〜7号墳で、山林内に入ると、すぐ右側に7号墳があり、崩壊した石室の残骸があります。5、6号墳は中央が陥没、3号墳は石材散乱。4号墳は唯一石室の形が残っていますが、内部は埋没しています。全長4.5m以上、幅1.7mですが、玄室部は天井石が抜かれているようです。

最も麓の7号墳

5号墳

4号墳、石室入口側

4号墳、玄室部、奧から

6号墳

3号墳

 谷間の南側の細長い尾根上に、6基の古墳が存在していましたが、農道工事に伴い、2003年に1、2、3、6号墳が調査されました。なお、なぜか、この時点で古墳名が付け替えられています。上記の3〜7号墳は旧名称です。尾根先端にあった1号墳(旧11号墳)は径13mの円墳で、主体部は横穴式石室で、基底部しか残っていませんが、玄室長1.65m、幅2.85m、羨道長3.4m、幅0.95m、左袖部幅1.85m、右袖部幅0.06mのほとんどL字に近い丁字形をしています。須恵器の年代は六世紀後半頃で、園部では最古級の石室です。隣の2号墳(旧10号墳)は径13mの円墳で、右片袖式のL字形石室が検出されました。玄室長1.95m、幅2.3m、右袖部幅1.1m、羨道長1.4m以上、幅0.85m、ほぼ1号墳と同時期の古い横穴式石室です。隣の3号墳は12m×10mの方墳で、主体部は2基の墓坑に舟形木棺が直葬されていました。五世紀末頃の築造です。少し離れた4号墳は方墳ですが、半分崖で消滅しています。5号墳(旧9号墳)は調査区域外にある径15mの円墳です。6号墳は11m×10mの方墳で、主体部は墓坑への割竹形木棺直葬で、五世紀末の築造です。調査された4基からは中期→後期、方墳→円墳、木棺直葬→横穴式石室という墓制の変遷が明らかに見て取れます。

1号墳丁字形石室正面

1号墳石室奧から、わずかに右片袖部がある

2号墳

2号墳、石室

3号墳第一主体部、3.8m×1.5m

3号墳第二主体部、4.2m×1.45m

5号墳

6号墳主体部、4.3m×2.5m

熊崎古墳群

 旧園部町熊崎、新堂池古墳群のある尾根の南側に熊崎集落があり、集落を抜けて西の谷間奧へ進むと、ため池があり、その先の右側山林内に現状で4基の古墳が密集すています。最初に見える1号墳は径20mの大きな円墳ですが、かなり流失し、中央が大きく陥没しています。石材がいくつか散乱しています。その上方にある4号墳は、わずかな高まりがある程度で、小さな石材が散乱しています。すぐ北の斜面上方に2号墳があります。径15mの円墳で、墳丘は割と残っていますが、中央が陥没しています。道路そばにある3号墳は径15mの円墳で、横穴式石室の一部が残っています。8.7m×1.6mの大きさで南南西を向いています。

1号墳、中央が大陥没、石材散乱

4号墳、わずかな高まり、石材散乱

2号墳、中央は陥没

3号墳、石室の一部が残る


<ホームへ戻る>

inserted by FC2 system