岡山県総社市稲荷山古墳群(稲荷山地区)


 総社市上林、緑山古墳群から道路を挟んで東隣りの山全体に分布する古墳群で、全体像は未だ不明。かまどねこさんが現在も探索中です。古墳の名称も「古墳奮闘」に合わせて有ります。

北麓の墓地内の古墳

 S51

 墓地の一番奥にあり、大きな墳丘が残っています。東側に回ると、崖の上に横穴式石室が開口。開口部は狭いですが、玄室は巨大。緑山と類似しており、しかも完存しています。玄室サイズは5.5×2.1×2.4(古墳奮闘より)で、左片袖式です。

石室正面側より、墳丘前面は削られている?

開口部、羨道は埋まっている

玄室奥壁

玄室奥から、左片袖式

 S52

 墓地のほぼ中央に石室の天井石が露出しています。中を覗くと、奥壁らしきが見えていますが、奧にも天井石が伸びているので、マグサ石かもしれません。

石室正面側?

石室内部、奥壁かマグサ石?

天井石、奧側から?

これも怪しい。近くの坂道の下に埋もれた巨石


北側斜面の古墳

 S41

 墓地から少し西の山麓に回ると、林の中にあり、横穴式石室が露出しています。玄室サイズは4m×1.3m×1.4m(古墳奮闘より)と小さく、奥壁は一枚石です。入り口付近はかなり埋まっています。

石室正面

玄室奥壁

 S53

 墓地から真っ直ぐ南に登っていくと、尾根から西寄りの薮と倒木の中にあります。この辺り、まったく整備されていないので訪問は危険です。天井石が落下し、石室は崩壊しています。

石室正面側、荒れています

石室内部

 稲荷山42号墳

 S53のやや南東にあります(距離は短いが、完全に薮漕ぎ状態)。このあたりから通れる山道が現れます。墳丘はかなり流失し、横穴式石室が露出。羨道の前側が崩れていますが、玄室はそこそこ良好に残っています。

石室正面

玄室奥壁

玄室奥から


稲荷山山頂付近の古墳

 S9

 42号墳から南の山頂へ登っていく途中にあります。小型の横穴式石室が露出していますが、かなり崩壊して、内部もかなり埋まっています。

石室正面側

奧側

 稲荷山31号墳

 稲荷山山頂の南寄りにあります。山頂付近では群を抜く規模の横穴式石室で、しかもほぼ完存しています。玄室サイズ5.5m×2m×2m(古墳奮闘より)の右片袖式で、羨道も長く、巨石もそれなりに使用。石室周辺の草が刈られていますが、どなたのおかげでしょうか?すぐ南西に、超小型の石室が露出しています。

石室正面、長い羨道

玄室奥壁

玄室奥から、右片袖式

すぐ南西にある小石室、奧に31号墳が見えている


稲荷山南側斜面の古墳

 稲荷山24号墳

 31号墳から南東に50mほど下ったところにあります。ここも大きな横穴式石室が開口しています。全長9m、玄室サイズは3.6m×1.8m×2m(古墳奮闘より)、羨道が長く、途中土砂が流れ込んでいます。入口付近は石材が露出しています。

空気抵抗の良さそうな石室入口

玄室奥壁

玄室奥から、左片袖式

 稲荷山22号墳

 24号墳のすぐ南にあります。斜面に横穴式石室がかろうじて開口。両袖式らしいですが、ここは宇宙人でないと入るのは無理です。

石室正面、長い羨道

玄室奥壁

 稲荷山21号墳

 22号墳から少し斜面を下ったところにあります。小型の横穴式石室が開口していますが、入口がかなり埋まっています。奥壁は鏡石プラスα、無袖式です。

石室正面、長い羨道

玄室奥壁

 稲荷山23号墳(仮称)

 21号墳の少し東側にあり、古墳奮闘には出ていません。小型の横穴式石室が露出。天井石がほとんど失われ、玄室は埋まっています。とりあえず空番の23号墳としておきました。

石室左側から

玄室奥壁方向


稲荷山西側斜面の古墳

 S56

 21号墳から池に向かって下っていくとあります。最初はS29だと思ってましたが、家でチェックすると奥壁が違いました(^^;)。相変わらず入口が狭いですが、奥壁はしっかり造ってますね。で、S29見逃しました。

石室開口部

玄室奥壁

 S43

 S56から池沿いに西へ進んだ斜面にあります。このエリアでは比較的大きな石室で、入室も容易です。玄室サイズ6m×1.7m×1.6m(古墳奮闘より)の無袖式です。

石室開口部

玄室奥壁

 S42

 S43のすぐ下の山道沿いにあります。池のすぐそばです。入口の不自然な天井石や、奥壁材の欠けた三角形など、他とちょっと違います。ここから、そのまま麓まで下りていけます。

石室開口部

玄室奥壁


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