岡山県総社市西部の古墳


久代大塚古墳

 総社市久代の集落背後、尾根先端にある径25mの円墳ですが、場所がわかりにくいのでメールで問い合わせてください。横穴式石室は東向きで、奥壁の天井部がわずかに開口、内部をのぞけます。玄室長6.3m、幅2.25m、高さ2.4m、羨道長3m以上の左片袖式で、かなり大きな石室ですが、羨道部はほとんど埋まっているようです。中に入れないことはないですが、出るときには踏み台が必要ですので、ご注意。

尾根の先端にあり、墓地のところから登り道がある

奥壁天井の開口部、狭い。

玄室内部、かなり広い。


久代大塚古墳群

 久代大塚古墳の西側に3基の横穴式石室墳があります。仮称2号墳は墓地のすぐ上にあり、奥壁側がわずかに開口しているらしいのですが、訪問時、雑草に埋もれていて見逃しました。すぐ西の山林の手前にも低いマウンドがありますが、古墳かどうかは不明。

 

 2号墳から西の山林に突入して、少し薮を登ると、仮称3号墳があります。墳丘はそこそこ残っていて、横穴式石室の奥壁天井付近に激狭な盗掘坑が開口。覗き込むと、左片袖式で、ほぼ完存していて、石室全体が真赤に塗られています。これだけ彩色が残っている古墳も珍しく、これだけでも見る(覗き込む)価値があります。しかし、ここに入る現代人がいるとは・・・・。

石室開口部

真赤な石室内部、奧から

 さらに上方に仮称4号墳があります。こちらは横穴式石室の奧側だけが残り、天井石が露出しています。幅1.3mの小型の石室です。

4号墳石室

石室内部


八紘古墳群

 総社市山田の県道54号線沿いにあります。2003年に2、3号墳が調査されました。2号墳は切石に近い大型の石材を使用した全長9mを越える大型石室をもつ精巧な造りの終末期古墳です。玄室は仕切石で分けられ奥側には敷石により屍床状の遺構が完存していました。隣接する3号墳は小型の石材を積み上げた持ち送りの急な横穴式石室をもち、2号墳に先行する時期の築造と見られます。玄室床面には小型の小石を敷き詰め、須恵器もほぼ現位置で残っていました。なお、1号墳はすでに調査が終了し、近くの道路脇の斜面に石材の一部が突き出ています。これらは製鉄集団の首長墓群と見られますが、技術集団の古墳らしく墳丘、石室とも非常に丁寧な造りが際だっています。

 

2号墳石室、天井石は殆ど残っていない。墳丘は版築構造

まるでパズルのように組まれた2号墳奥壁

2号墳玄室床面、これもきっちり敷き詰められた敷石

 

近くの道路脇の斜面に突き出た1号墳の石材

2号墳に隣接する3号墳石室

 3号墳玄室床面、ほぼ完存

 引き続き、2009年に4〜6号墳が調査されました。すべて六世紀末頃に造られた径12mほどの円墳で、裾に列石が巡り、墳丘内部には石垣状の石積みが検出されました。いずれも横穴式石室を主体部としますが、基底部しか残って居ませんでした。しかし、床面の保存状態は大変良く、土器がほぼ原位置で出土しています。4号墳石室は全長8.5m以上、玄室長5.2m、幅1.5mの右片袖式で、奥壁は鏡石一枚(上部は不明)、床面には不整形の板石を敷き詰めています。5号墳石室は全長8.1m以上、玄室長6.2m、幅1.3mの左片袖式で、奥壁は横に二枚、床面には小さな礫を敷き詰めています。6号墳石室は全長4.5m以上、幅1.2m、鏡石は一枚で、床面には石を敷き詰めています。七世紀前半まで追葬が行われたようです。

4号墳石室、右片袖式

4号墳奥壁、敷石や隙間の石材に几帳面さを感じる

5号墳石室、左片袖式

5号墳羨道部の土器出土状況、手前に閉塞石

6号墳墳丘、石列が二段になっている

6号墳石室を上から


二反峠(にたんだわ)古墳群

 総社市山田、八紘古墳群のある谷間の南側の北向き斜面にあり、前方後円墳1基を中心にして、その周りを円墳9基が取り囲むように分布しています。すべて横穴式石室墳と思われますが、まともに内部に入れる物はありません。林の中へ入るとすぐに、大きな円墳(仮称1号墳)がありますが、墳頂には大きな陥没穴があり、石室の奥壁付近だけが天井を失って残っています。

  分布図、数字は仮称(訪問順)

仮称1号墳、墳頂の石室跡

奥壁付近だけが残る

 西へ30mほど登ると径15mの円墳(仮称2号墳)があり、石室が開口しています。内部は完存していそうですが、羨道が狭く、気候も良くなかったので、入室は遠慮しました。内部の様子は「古墳奮闘」を参照してください。

仮称2号墳、斜面に石室開口

激狭な羨道

 さらに南へ50mほど登るときれいな背面カットを持つ墳丘(仮称3号墳)が現れます。ここも石室が開口していますが、羨道がますます狭くなっています。こちらの内部の様子も「古墳奮闘」を参照してください。

仮称3号墳、薮の中に石室開口

さらに激狭な羨道

 北となりにやや小さな円墳(仮称4号墳)がありますが、石室開口部は隙間程度、内部は小型の石室が完存していそうです。

仮称4号墳、ますます狭くなる石室開口部

石室内部

 群の中央には北面する前方後円墳(仮称5号墳)があります。全長20m弱で前方部は小さく、後円部墳頂は大きく陥没しています。石材は完全に抜かれてしまっています。

  大きな陥没穴

 前方後円墳から右回りに斜面を下っていくと、麓近くに小円墳(仮称6号墳)があります。盗掘穴にわずかな隙間があり、側壁が覗けます。

仮称6号墳、もはや隙間と呼ぶのもはばかられる開口部

石室内部、側壁か?


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