三重県鈴鹿市北部の古墳


双児塚古墳群

 御幣川左岸の台地上に分布する現存3基の後期の古墳群です。1号墳は径17mの円墳で、鈴鹿市内では唯一開口する横穴式石室です。ここも日本武尊の墓との伝承があります。隣の2号墳は径15mほどの円墳で、石材が一部露出しています。

1号墳

1号墳石室開口部

1号墳玄室奥壁

1号墳石室奧から

2号墳

2号墳

 林の奧にある3号墳は、薮に覆われていますが、径15mほどの円墳で、石室のあった場所が大きく陥没しています。薮の隙間からわずかに石材が見えます。

石室のあった場所?

残存する石室の一部


武備塚古墳

 鈴鹿市長沢町、東名阪自動車道鈴鹿インターの北1.5kmの長瀬神社本殿裏にあります。江戸時代、亀山藩によって日本武尊の墓と定められた古墳で、神社のご神体となっています。径25mの円墳ですが、未調査のため、詳細は不明です。

本殿裏に鎮座

墳丘

 背後の林の中へ入っていくと、わずかな高まりの上に石碑が建っています。ここが車塚古墳です。境内には他にも2基の古墳がありましたが、消滅しています。

 


白鳥塚古墳 【県史跡】

 加佐登町の加佐登神社境内北東にあります。従来径60m以上の大型円墳と考えられてきましたが、2005年の発掘調査の結果、全長80m、後円部径64mの帆立貝式古墳であることがわかりました。ヤマトタケルの墓との伝承がありますが、出土した円筒埴輪から五世紀前半の築造と判明しました。

向こうが後円部、手前が前方部でかなり低い

後円部の葺石と基底石、区画石


大谷古墳

 木田町にあり、若宮八幡神社の境内となっています。全長43mの前方後円墳ですが、社殿で大きく破壊されています。主体部は横穴式石室で、現在社殿の裏に破壊された石室の石材がまとめて置かれています。

大きく破壊された墳丘

社殿裏に置かれた石室の石材とえぐられた後円部


北町古墳・南町古墳

 奉行所みたいなネーミングですが、それぞれ独立した別の古墳です。北町古墳は石薬師町字北町の石薬師小学校北300mの道路沿いにある推定全長20m以上の前方後円墳ですが、墳丘は大きく削られ、後円部の一部だけが残っています。主体部は花崗岩の組合せ式箱式石棺が露出しています。内寸は2.3×0.5×0.4mです。六世紀頃の築造と思われます。

北町古墳、道路沿いにある

石棺が露出

 南町古墳は石薬師町字南町、北町古墳の南500mにあり、山ノ神社となっています。全長50mの六世紀の前方後円墳ですが、墳丘はほとんど残っていません。主体部は横穴式石室で、現在袖石と奥壁の石材がほぼ現位置と思われる状態で残っています。1914年に調査され、出土品は東京国立博物館にあるそうです。

南町古墳

両袖石と奧に奥壁材

北町古墳の昔の姿

南町古墳の昔の姿


舟塚古墳

 鈴鹿市上野町の鈴鹿クリーンセンター裏の公園内に保存されている径15mの円墳です。墳丘の周囲から、幅1.5mの周溝が見つかり、復元表示されています。周濠が復元されています。出土した土器から六世紀頃の築造と思われますが、主体部は不明です。

 


若宮古墳

 鈴鹿市上野町、鈴鹿クリーンセンターの西の道路沿いにあります。現状で径10mほどの円墳ですが、かなり削平されています。この場所は元々、上記の大谷古墳を破壊して築かれた若宮八幡神社が元々存在していた場所で、現在はその跡地を示す石碑が建てられています。

 


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