兵庫県宝塚市西部の古墳


中山寺古墳 【管理人推薦】【県史跡】

 宝塚市中山寺境内(本堂前の石段下、大黒堂の横)にあります。墳形は不明ですが、玄室長5.5m、幅2.5m、高さ2.3m、羨道長9mの大型の両袖式横穴式石室が開口していて、玄室内には竜山石製の家形石棺が残っています。また、阿弥陀堂の前に「安産手水鉢」として、くり抜き式石棺の身が置かれています。

古墳正面、石垣は後世の物

羨道部

石室内部と家形石棺

石棺の身を利用した安産手水鉢


中山荘園古墳 【管理人推薦】【県史跡】

 宝塚市中山荘園、中山寺の西500m、ライオンズマンション宝塚売布の隣にあります。昭和58年にマンション建設に伴い発見された古墳で、保育社「日本の古代遺跡」にもカラー写真で紹介されています。2006年末に史跡整備が終了し、一般公開されました。南向き急斜面に築かれた典型的な終末期古墳で、外護列石が八角形をしていて、前庭部にテラス状の祭壇も設けられています。主体部は横穴式石室で、長さ3.4m、幅1.3m、高さ1.3m、床には敷石が残り、羨道部は玄室に食い込むような構造になっています。

手前の敷石がテラス状の祭壇

南に開口した横穴式石室

石室内部

墳丘背後から


中筋山手古墳群1号墳 【市史跡】

 天神川左岸に分布する5基からなる古墳群で、1号墳は阪急中山駅の北600m、中筋山手二丁目8番地の道路沿い西林公園内に保存されています。径15mの円墳で、南に横穴式石室が開口。全長7.6m、玄室幅2〜1.5m、高さ2.2mの花崗岩で築かれた両袖式で、玄室は奥ほど狭くなっていて視覚効果を狙っています。側壁にはわずかに持ち送りが見られます。六世紀末〜七世紀初頭の築造です。

石室正面

石室内部


中筋山手東古墳群 【管理人推薦】

 2号墳 【市史跡】

 宝塚市中筋山手四丁目14番地、バス通りの一本西の住宅地内の通りを北へ進み、突き当たりの民家裏にあります。通りからは見えませんが、民家のすぐ右を通り抜けて裏に回ると墳丘があります。石室が南の民家に向いて開口しています。玄室の途中に石材を突きだして前後に分けた複室構造で、全長8m、玄室幅1.5m、高さ2.5mの規模で、石材をやや持ち送りながら丁寧に積みあげています。側壁のカーブが美しいですね。

石室正面

石室内部

 1号墳

 2号墳のすぐ北西の林の中にあります。径12mほどの円墳で、横穴式石室が良好に残されています。全長約7m、玄室長5m、幅1.2m、高さ2.5mの両袖式ですが、袖部が非常に狭く、玄室も極端に縦長構造です。2号墳が市史跡なら、ここも指定してもらいたいものです。

古墳正面

石室正面

玄室奥壁

奥から外


天満神社古墳 【管理人推薦】

 宝塚市山本西一丁目の天満神社境内にあり、駐車場の奧にひっそりと開口しています。全長8.5m、玄室長3m、幅1.8m、高さ2m、羨道長5.6m、幅1.3m、高さ1.4mの両袖式で、側壁は持ち送りが少なく、天井石は巨大です。入口が狭いのは、閉塞石が残っているからで、町中にありながら、石室は意外に完存しています。

石室開口部

羨道

玄室奥壁

奧から


安倉高塚古墳 【市史跡】

 宝塚市安倉南一丁目4、県道42号線安倉交差点から東50mの市道沿いにあります。元は径17mの円墳で、四世紀後半の築造です。昭和12年の道路工事で墳丘が破壊されて断面模型のような姿のまま今日に至っています。主体部は竪穴式石室内に割竹形木棺が納められ、赤烏七年(244)銘の神獣鏡が出土しています。鏡は現在兵庫県立歴史博物館が所有しています。

古墳の現状

石の扉が気になります


宝梅園1号墳

 宝塚市宝梅三丁目の宝梅中学校の正門を入ってすぐ左にあります。元は南西200mの梅林内にありましたが、造成により現在地に石室が移築されました。横穴式石室の奥壁付近だけが残されていて、幅1.2mほどの大きさです。


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