群馬県高崎市東部の古墳


浅間山古墳

 国史跡。高崎市倉賀野町313、県道和田多中倉賀野線(旧17号線)の南側に3基の前方後円墳が近接して並んでいて、その最も西側にあります。烏川左岸に築かれた全長171.2m、後円部径105.2m、周濠の長さ232mの大型前方後円墳で、県下では二位の大きさです。二段築成で、盾形の周濠の痕跡が周囲の田圃に良く残っています。葺石、埴輪が認められ、五世紀前半の築造と思われます。未調査のため、主体部は不明です。

 

大鶴巻古墳

 国史跡。高崎市倉賀野町661、浅間山古墳の東600mにあります。全長123m、後円部径72mの前方後円墳で、二段築成、周濠も含めた長さは174mになります。葺石、埴輪片が確認できますが、主体部も含め未調査のため、詳細は不明です。浅間山古墳の前、五世紀前半頃の築造と思われます。

 

小鶴巻古墳

 高崎市倉賀野町、大鶴巻古墳の北側に周濠を一部共有するように隣接しています。全長87.5m、後円部径45mの前方後円墳で、盾形周濠が巡り、葺石、埴輪が認められます。墳丘上には舟形石棺と思われる破片が散乱しています。五世紀後半、浅間山古墳の後に築かれたと考えられます。

 

不動山古墳

 市史跡。高崎市綿貫町、国道354号線沿い、ミニストップの隣にあり、墳頂には不動尊が奉られています。全長94m、後円部径54mの前方後円墳で、北側クビレ部に造出しがあります。南側は民家が建ち、かなり破壊されています。主体部は不明ですが、現在巨大な凝灰岩製の舟形石棺の身が墳頂に置かれていて、3.45m(突起を含む)×1.4m×0.82mの大きさです。造出しからは埴輪配列と土師器が出土しています。五世紀後半の築造です。

綿貫観音山古墳 【管理人特選】

 国史跡、出土品は重要文化財。高崎市綿貫町、群馬の森公園の北1kmにあり、史跡公園として整備されています。全長97m、後円部径61m、前方部幅64mのすべて盛土で造られた前方後円墳で、葺石はなく、二段築成、二重の盾形周濠が巡ります。石室面積では県内最大で石舞台古墳より広い横穴式石室が後円部のテラスに南西に開口。全長12.65m、玄室長8.12m、幅3.95m、高さ2.68m、羨道長4.53m、幅2.4m、高さ1.39mの両袖式で、壁面は榛名山の軽石を加工して互の目積みし、天井には吉井町産の砂岩を、羨道手前は川原石を使用しています。この石室規模に対して石材が小さすぎたためか、発見時には玄室東側の側壁が崩壊していました。玄室の奥側は間仕切石と白石で棺座のようにしつらえています。その周囲の壁には鉄鉤が打たれ、幕を張り巡らしていたと思われます。石室は崩壊していたおかげか発見時未盗掘で、棺座部分と、前側の壁際から六世紀の最高の工芸技術を駆使した装身具、武具、馬具などの豪華副葬品が出土しました。中でも特徴的なのは、百済武寧王陵出土品と同型の獣帯鏡、騎馬民族風の異形の冑、国内では例のない銅製水瓶など、東アジアとの交流を思わせる品々です。また、石室入口前からは葬祭儀礼を表現したと思われる人物埴輪群が出土し、特に三人童女の埴輪は国内では唯一の出土例です。副葬品、形象埴輪は群馬の森公園内にある県立歴史博物館に石室内部の復元模型とともに展示されています。六世紀後半の築造と考えられています。

美しく整備された墳丘

石室開口部

広大な玄室

羨道側壁


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