群馬県高崎市北部(旧群馬町・榛名町ほか)の古墳


金古愛宕山古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 高崎市旧群馬町金古2052の愛宕神社境内にあり、墳丘上に社殿が建てられています。現状で径30mの円墳ですが、前方後円墳との説もあります。南東方向に横穴式石室が開口。全長9m、玄室長3.2m、幅2.1m、高さ2.3mの両袖式で、自然石乱石積み、奥壁や玄門は積み木を積んだような印象です。入口付近は、後世の補強のようです。六世紀末〜七世紀前半の築造と見られます。


保渡田古墳群 【管理人特選】【国史跡】

 高崎市旧群馬町保渡田・井出、六世紀前半に築かれた100m級の3基の前方後円墳の総称で、二子山、八幡塚、薬師塚の順に築造されました。特に八幡塚古墳は、墳丘や周濠、埴輪などの外部施設が築造当時の姿に復元され、墳丘内部には石棺展示施設も設けられて、大型前方後円墳の築造時の姿を実感できます。また、隣接して、榛名山麓の古墳文化を展示した「かみつけの里博物館」があり、古墳群の主である豪族の居館跡である三ツ寺I遺跡も近く、一帯は密度の濃い古墳文化エリアとなっています。古墳群は現在「上毛野はにわの里公園」として、整備公開され、さらに拡張中です。

 井出二子山(愛宕塚)古墳

 最初に築かれた全長92.4m、後円部径56mの前方後円墳で、二重の周濠がめぐり、四基の中島が内濠に配されています。墳丘テラスには円筒埴輪列が巡り、中堤には形象埴輪配列区が設けられていました。主体部は後円部中央に竪穴式石室があり、舟形石棺が置かれていました。江戸時代に盗掘にあっていて、副葬品はほとんど残っていなかったそうです。六世紀初め頃の築造です。

 

 現在、墳丘は現状保存、周溝は復元という形で整備公開されています。発掘調査の結果、全長110m、後円部径72.5mの前方後円墳で、二重周溝も含めた全長は213mになります。後円部墳頂には舟形石棺が納められていました。身の大きさは3×1.2×1mで、周囲には多量の石が詰められていました。石棺のとなりには、副葬品を入れる空間と、追葬された木棺の跡も検出されました。内溝の中には径18mの中島が四つ、後円部の周囲に配置されています。

前方部から後円部

内溝内の中島

後円部墳頂の舟形石棺の表示

 八幡塚古墳

 二子山古墳に続いて築造された全長96m、後円部径56mの前方後円墳で、周囲は内堀、外堀、外周溝により三重に区画されていました。全域は176m×138mの広さがあり、四つの中島があります。墳丘は三段築成で、中島も含め葺石で覆われていました。各テラスと中島、中堤には7000本以上の円筒埴輪列が巡り、内堤上には2カ所の形象埴輪配列区があります。ここからは、50体以上の人物、動物埴輪が出土しました。埋葬施設は、後円部の礫槨内に舟形石棺と竪穴式石槨の2基がありました。六世紀前半の築造です。

墳丘の現状

中堤上の形象埴輪配列区からみた前方部

中堤上の形象埴輪配列区の復元

石棺展示施設の舟形石棺

 薬師塚古墳

 最後に築かれた全長105mの前方後円墳で、二重に周濠を巡らし、全域の大きさは165mになります。墳丘はかなり破壊されていますが、後円部頂上に凝灰岩製のくり抜き式舟形石棺が残っています。江戸時代に内部から国産の内行花文鏡、玉類、馬具が発見されていて、一括して重要文化財に指定されています。特に馬具は鋳造品で国内では類例がありません。六世紀中頃の築造です。

墳丘

舟形石棺、蓋はかなり破壊されている


愛宕塚古墳

 高崎市保渡田、保渡田古墳群の西1kmの道路沿いにあり、白山神社の土台になっています。径15mの円墳です。

 


上小塙(烏子)稲荷山古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 高崎市上小塙町564の烏子稲荷神社境内にあり、墳丘上に社殿が建てられています。径50m以上の二段築成の大型円墳で、一段目が異常に高く、そのテラスに横穴式石室が珍しく北向きに開口しています。全長約10m、転石積みの古い形態で、玄室と羨道の境には樒石が残っています。六世紀前半頃の横穴式石室受容期の古墳です。

烏子稲荷神社の境内にある

石室開口部

石室内部、照明つき

石室実測図


しどめ塚古墳 【県史跡】

 高崎市旧榛名町の大字本郷、県道29号線沿いの本郷神社から南へ200mのところにあります。径18mの円墳で、葺石が全面に貼られています。二段に見えますが、一段目は後から付け足したものです。南西に横穴式石室が開口していますが、古墳のお部屋の画像と比べると、かなり埋まってしまっています。しかも、扉が変わっている・・。(この状態で、教育委員会に申し込めば、本当に石室を見学できるのか?)内部は全長8.6mの両袖式で、自然石乱石積み、玄室はドーム状です。七世紀中頃の築造ですが、七世紀末に羨道の前側や前庭、墳丘の一段目などが付け足されたそうです。特に羨門では榛名山の軽石を加工して柱石としています。

石室開口部

石室内部


本郷塚中(奥原)古墳群 【市史跡】

 高崎市旧榛名町の大字本郷、しどめ塚の西1km、太陽誘電研究所の東側の農地に点在しています。元々65基の古墳が分布していましたが、土地改良事業によって、多くが破壊され、現在は30基ほどが残っています。ほとんどが川原石を用いた横穴式石室を主体部とする径10mくらいの円墳ですが、群中最大で、最も保存状態の良かった53号墳が、復元保存されています。径25mの円墳で、周堀が巡ります。横穴式石室は全長8.8m、玄室長4.3m、幅2.4m、羨道長4.6m、幅1.5mの両袖式で、玄室はやや胴張り、入口前には前庭が付設されています。ただし、古墳の周囲はフェンスで囲まれ、石室内は自由には見学できません。何のための復元なのでしょうかねえ。。。

53号墳全景

53号墳石室開口部

53号墳石室前の前庭

6号墳

7号墳

9号墳


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