群馬県高崎市南部の古墳


山ノ上古墳 【管理人推薦】【国特別史跡】

 高崎市山名町2104、上信電鉄山名駅の西500m、谷間の奧に入っていくと、案内標識があり、北側の高い石段を登ったところにあります。隣にある山ノ上碑と合わせて、古墳としては東日本では唯一の国特別史跡に指定されています。その理由は、山ノ上碑に記された碑文から、古墳の被葬者がかなりの確率で特定できる希有の古墳であるという点にあります。古墳は谷間の奧の丘陵南斜面に築かれた山寄せの径15mの円墳で、葺石、埴輪はありません。主体部は凝灰岩の切石で築かれた截石切組積みの横穴式石室で、全長6m、玄室長2.6m、幅1.8m、高さ1.6m、羨道長3.4m、幅0.9m、高さ0.9mの両袖式です。石室前の左右の柱石は後世のものらしいです。山ノ上碑の碑文によると、辛巳歳(681年?)に放光寺の長利僧が母の黒売刀自のために碑を建てた事が記されていて、古墳の年代とかけ離れていないため、碑が古墳の墓誌である可能性が高いと見られていました。しかし、切組みの部分が少なく、同型式の石室の中でも初期の段階の石室と思われるため、最近の説では、碑よりも早い七世紀中頃の築造と考えられていて、碑は追葬に伴うものである説が有力です。

古墳の全景、1971年に修復されました

石室正面

玄室奥壁、内部に馬頭観音を奉る

奧から

石室実測図

国特別史跡・山ノ上碑


山名古墳群 【市史跡】

 高崎市の南端、山名町の職業能力開発短大の東に10基ほどの古墳がほぼ一直線に並んでいます。前方後円墳1基のほかはすべて円墳で、現在史跡として整備中です。山名伊勢塚古墳は全長70mほどの唯一の前方後円墳で、主体部は凝灰岩の切石を用いた横穴式石室ですが、調査時、すでに大きく破壊されていました。

左33号墳、右35号墳

39号墳

左44号墳、中央42号墳

山名伊勢塚古墳

 山名原口II号墳

 山名古墳群内にあり、発掘調査により発見された径16.5mの円墳で、横穴式石室が残っていました。現在、覆屋で保護された石室は全長7.3m、玄室長3.9m、幅2.3mの両袖式で、側壁は棒状の川原石を積み上げた模様積みです。すぐ南方にある伊勢塚古墳へと繋がっていく模様積みの初期段階の石室でしょうか。七世紀前半の築造です。

正面より

奥壁側から

側壁の模様積み


土合I号古墳

 高崎市山名町の南八幡中学校内にあります。元は別の位置にありましたが、校舎の建設で、現在位置に移築復元されています。長さ5m、幅1mほどの無袖式の横穴式石室です。


<ホームへ戻る>

inserted by FC2 system