滋賀県高島市(旧高島町)の古墳
■鴨稲荷山古墳 【県史跡】
旧高島町鴨の鴨川そばにある六世紀後半頃の全長45mの前方後円墳ですが、墳丘はほとんど失われています。全長3.3m、幅1.2m、高さ1.1mの巨大な家型石棺が覆屋の中に保存されており、窓から見学可能です。
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旧高島町、鴨稲荷山古墳の北500mの道路西側にある径11mの円墳です。継体天皇の母が出産したときに胎盤(胞衣)を、ここに埋めたという伝承があります。
■音羽古墳群石穴支群
旧高島町勝野・音羽にまたがる群集墳で、小田川を挟んで南側の石穴支群が整備され、現在、高島変電所の裏に音羽古墳公園として保存されています。16号墳の前に8、10号墳の石室が移築されており、8号墳は全長6.4m、玄室長2.7m、幅1.5m、羨道長3.7m、幅1mの両袖式で、袖石には柱状に石を立てています。10号墳は全長8m、玄室長4m、幅2m、羨道長4m、幅1.2mの右片袖式で、床には平石を敷き詰め、奥壁の前に棺台が設けられています。16号墳は現存長5m、玄室長3.5m、幅1.6m、羨道幅1mの右片袖式で、天井石は失われていましたが、復元されています。公園の南東の林の中に1号墳の石室が露出しています。内部はほとんど埋まっています。また、公園の手前の遊歩道を挟んで東に2号墳、西に3号墳のマウンドが残っています。
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古墳公園から、東へ下って行った墓地の奧の林の中に11、12号墳があり、共に横穴式石室が露出しています。西側にある11号墳は、全長7m、玄室長3m、幅1.7m、高さ2mの両袖式で、羨道は埋まり、玄室天井石も手前が失われています。小型の石材をあまり持ち送らずに乱石積みしています。すぐそばにある12号墳は、大きな墳丘が残っていますが、羨道、天井が失われた石室が露出しています。玄室長4m、幅2m、高さ2.5mの右片袖式と思われます。こちらも石材は小さく、持ち送りはあまりありません。
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■音羽古墳群大炊神社裏山支群
石穴支群から谷川をはさんだ北側、音羽集落の奧にある大炊神社裏山に分布する古墳群ですが、2基の横穴式石室墳からなります。神社本殿のすぐ裏の斜面にある1号墳は、径8mほどの小円墳で、石室が完存。玄室長3m、幅1.5m、高さ1.5m以上、羨道長1.5m、幅0.8mの両袖式で、玄室はやや胴張り、奥壁以外は小型の石材を持ち送っています。同じ等高線上のすぐ横にも陥没坑があり、おそらく石室の跡でしょう。
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神社から、鹿避けフェンスを越えて、一旦、送電塔まで行き、そこから山頂まで真っ直ぐ山林内を登っていくと山頂に2号墳の大きな墳丘があり、横穴式石室が開口しています。普通に開口しているように見えますが、中から振り返ると、開口しているのは破壊された右袖部でした。玄室長4m、幅2.5m、高さ2m、羨道幅0.8mの極端な右片袖式で、盗掘者も入口を外してしまったようです。玄室は平石をあまり持ち送らずに整然と積み上げ、巨大で平らな天井石を載せています。高島地域では初期の横穴式石室ですが、巨大な空間で、明らかに首長墓クラスの古墳です。
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旧高島町勝野、打下集落内、日吉神社の裏山にあります。神社北側の道を登っていくと山頂に大きな水道タンクがあり、その工事中に発見された古墳で、タンクの前に整備保存されています。五世紀頃に築かれ、主体部は箱式石棺で、内部は朱が塗られ、人骨が残っていました。鑑定の結果被葬者は身長155cmくらいの壮年男性と見られます。他に鉄刀、鉄剣が石棺内から、鉄鏃が石棺外から見つかっています。琵琶湖の水運を掌握した首長の墓と思われます。
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旧高島町鵜川、県史跡・鵜川四十八躰仏の隣にあり、滋賀県遺跡地図では古墳群とされていますが、現存するのは1基のみです。東屋の隣りに半地下に埋もれた横穴式石室が開口しています。玄室の奥側しか残って居ませんが、現存長3m、幅1.5mの規模で、持ち送りがあるので、床面はもっと広いと思われます。
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旧高島町鵜川215の白髭神社社殿背後の斜面にあり、1号墳の横穴式石室が岩戸社として祭られています。小さな社の中に石室が開口。全長6m、玄室長2.5m、幅2m、高さ1.1m、羨道長3.5m、幅1.2m、高さ1mの両袖式で、側壁は持ち送りが急で、やや胴張り形状です。社の背後に天井石が露出しています。すぐ右奧に2号墳があり、墳頂が陥没し、石材が散乱しています。さらに右30mに3号墳があり、同様に陥没坑に石材が散乱しています。1号墳のすぐ前にもう4号墳があり、現状では低い墳丘が残っているだけです。
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旧高島町鵜川、白髭神社から国道161号線を西へ1km進み、鵜川会議所前の道を湖西線を越えて北へ登っていくと、鹿避けフェンスの扉に突き当たります。そこから右へ農道を100mほど下っていった棚田の中に変形した墳丘が残されています。南に横穴式石室がわずかに開口。入口は狭いですが、意外にも内部は完存しています。玄室長4m、幅1.8m、高さ2mの右片袖式で、奥壁は鏡石の上に割石を積み、側壁は乱石積みに近く、やや持ち送りがあります。
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旧高島町鵜川、蛇砂古墳から、鹿避けフェンスの扉に戻り、フェンスを越えて、右側の尾根筋を登って行くと、鉄塔があります。そのすぐ先の山道沿いに1号墳があります。奥壁側が開口していますが、天井石が落下寸前なので、入室は自己責任で御願いします。玄室長4m、幅2m、高さ2.3mの右片袖式で、側壁は小型の石材を持ち送り、袖部も同じ角度で持ち送っています。山道の斜め向かいに2号墳がありますが、羊歯をかき分けると、わずかに石室が開口しています。小型の石室が完存しているようです。
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