兵庫県丹波市親王塚北野古墳群(旧氷上町)


 氷上町北野。春日町の坂古墳群から旧175号線を南へ500m、東側の山裾にある谷田池のとなりに親王塚古墳があり、その背後の谷間一帯に約50基からなる北野古墳群があります。丹波市内では最大の古墳群ですが、資料が乏しく、分布図もないため、自力で探索したところ、熊野神社周辺の南群、林道沿いの中群、谷間をはさんだ北側の南斜面に北群と、概ね三群に分けられそうです。保育社「日本の古代遺跡(兵庫北)」には、親王塚も含めて、一つの古墳群として扱っています。ただ、あまりにもマニアックな古墳群で、探索も大変な場所なので、推薦はしないでおきましょう。

 


親王塚古墳

 保育社「日本の古代遺跡(兵庫北)」には、古墳の写真付きで、説明が載っていて、一部資料には、史跡に指定されているとも書かれているはずの古墳なのですが、現地には、なぜか新築の豪邸が建っていて、影も形もありません。本来は径25mの円墳で、瀬戸内海側と日本海側を結ぶ谷中分水界を見下ろす丘陵先端に築かれています。明治三二年ころの発掘調査で三角縁神獣鏡が出土していて、四世紀頃の築造と考えられます。

 


北野古墳群南支群(仮称)

 集落の奥、山の麓にある熊野神社周辺に分布する支群で、神社前の交差点に、露出した石室1、神社隣の民家裏の竹林に1基、神社裏の竹林奥に半壊した石室が2基ほど残されています。

交差点にある露出した石室

民家裏の露出した石室

神社裏の竹林奥の露出した石室

神社裏の竹林奥の露出した石室2


北野古墳群中支群(仮称)

 熊野神社裏の竹林から荒れた山林を北へ進むと、左から右へ登っていく林道に突き当たります。その林道の向こう側の斜面一帯に中支群が密集しています。ほとんどが小〜中規模の石室を持ちますが、完存しているものは少ないようです。その中で、ひときわ大きな墳丘があり、唯一大型の横穴式石室が良く保存されています。羨道はやや石材が失われていますが、全長10m以上、玄室長5m、幅1.5m、高さ2.3mの右片袖式で、盟主墳といっても良い規模です。

唯一保存状態の良い大型石室正面

羨道

玄室奥壁

奥から外

 上記の盟主墳の周囲に密集する古墳群。小さな小屋が目印です。

天井石の落ち込んだ石室

半壊状態の石室

盟主墳の次に保存の良い石室

左の石室の内部

割と状態の良い石室

左の石室の内部

羨道部の崩壊した石室

左の石室の内部

 小さな小屋周辺の古墳群から、急な尾根を登っていくと、半壊した古墳がいくつか散見できます。100mくらい登ったところに、わりと保存状態の良い横穴式石室が開口しています。全長5mほどの小型の石室です。ここから上部には、古墳はなさそうです。

天井石を露出させた石室

比較的形を残した石室

半壊した石室

全壊に近い石室

最高所にある保存の良い石室

左の石室の内部


北野古墳群北支群(仮称)

 中支群の中央にある小さな小屋のあたりから、北側の谷間にある薮を抜けると、山道が続いていて、登っていくと、山道沿いに横穴式石室が密集しています。全体的に横穴式石室の規模は小さいですが、玄室が残っている石室が多いようです。

保存状態が良いほうの石室

左の石室内部

羨道が崩壊している

左の石室内部

羨道が崩壊した石室が多い

半壊状態の石室

羨道が崩壊して埋まった石室

左の石室内部

 山道から右側の斜面を登っていくと、100mくらいまでの範囲に半壊した石室がいくつか露出しています。その先は岩場に近い状態で、見たところ、古墳は、もうなさそうです。

天井石が露出

半壊状態

石材散乱、ほとんど埋もれている

半壊し、埋もれた石室

かろうじて玄室奥側が残った石室

左の石室内部

 山道から逆に左の薮の中へ進むと、小古墳が密集しています。もう、ほとんど全容はつかめません。

次々と石室が出現

左の石室内部

これは、割と良く残っています

左の石室内部

完存に近い石室か?

左の石室内部


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