京都府京丹後市(旧久美浜町)の古墳


愛宕山古墳石棺

 京丹後市久美浜町大向、久美浜湾と日本海をつなぐ水路のすぐ西に突き出た小さな半島にある古墳です。古墳本体は全壊状態ですが、出土した舟形石棺が、丹後町の丹後古代の里資料館に移設展示されています。2.5m×1mほどの凝灰岩製の蓋と身からなり、身は割れていますが、縄掛突起が残っています。

丸みを帯びたデザイン

小口側の縄掛突起

エンザキ古墳

 京丹後市久美浜町湊宮、久見浜湾の北西、湾岸沿いに走る府道49号線と122号線の三叉路からすぐ東の道路沿いにあります。愛宕山古墳のある小半島から西へ500mの地点です。山林の中に入ると、すぐに背面カットされた墳丘と横穴式石室が良好に残っています。径10mの円墳で、石室は海とは逆方向の北の山側を向いています。玄室長2.9m、幅1.7m、高さ1.8m、羨道幅1mの無袖式で、奧、側壁は小型の自然石乱石積み、天井石もあまり加工していません。

  古墳の前、久見浜湾の美しい風景

良好に残る墳丘と石室、後ろはすぐ海です

石室開口部、海とは逆方向の北向き

玄室奥壁

石室奧から

塚の鳴古墳 【管理人推薦】

 京丹後市久美浜町甲山、甲山駅の北800m、丹後ジャージー牧場の東に南北に細長い小丘陵があり、その頂部にあります。周辺は平地となっていますが、かつては入り江だったようです。墳丘はほとんど崩壊していますが、大型の横穴式石室が比較的良く残っています。全長10.1m、玄室長5.1m、幅2.7m、高さ2.8m、羨道長5m、幅1.3〜1.9mの両袖式で、入口がやや開いています。奥壁、側壁は小型の石材を持ち送らずに高く積み上げ、巨大な天井石で覆っています。見上げ石の上の前壁の石材がごっそり抜けていますので、入室は自己責任で御願いします。奥壁には元禄時代の石仏群が置かれ、江戸時代から信仰の場として利用されていたことがわかります。かつての入り江を見下ろす丘陵上に単独で築かれた後期の首長墓です。

石室正面

羨道部

見上げ石の上から見た巨大な玄室奧壁

玄室奧から、前壁がすっぽり抜けています

芦高神社古墳

 京丹後市久美浜町芦原、高龍中学校のすぐ北東にあり、墳丘上に芦高神社が鎮座しています。現状で径25mの円墳ですが、北側の水田が前方部状に残っており、前方後円墳の可能性が指摘されています。外表施設や出土品が全くなく、内部構造も不明ですが、中期以降の築造ではないかと推測されます。

  手前の水田が前方部跡か?

出島古墳

 京丹後市久美浜町友重、友重集落のほぼ中心にある古い農協倉庫の東50mにあり、大きな木と祠が目印です。墳丘はまったく失われ、横穴式石室の石材が露出しています。天井石の上に地蔵の小祠が祭られています。

石室の天井石が露出

反対側

湯舟坂2号墳 【管理人推薦】

 京都府指定史跡。京丹後市久美浜町須田、県道706号線の須田集落付近に標識が出ており、そこから西の谷間へ1.5kmほど入っていった山裾にあります。墳丘はまったく残っていませんが、圃場整備に伴う調査で周溝、列石のある径18mの円墳と判明しています。埋葬施設は東南東に開口する大型の横穴式石室ですが、側壁の上部と天井石は失われていました。全長10.6m、玄室長5.7m、幅2.44m、高さ2.22m以上、羨道長4.88m、幅1.32m、高さ1.6m以上の両袖式で、羨道は入口に向かってハの字に広がっています。玄室床面には河原石を敷き詰め、側壁は花崗岩の巨石を推定三段に積み、隙間には小型の石を詰めています。玄室床面は奇跡的に未盗掘で、武器、馬具、装飾品、須恵器など豪華、かつ大量の副葬品が出土しました。中でも金銅装双龍環頭大刀は二対の龍を表現した特異なデザインで、状態も良好なことから国内でも有数の優品と言われています。また、出土した銅椀は関西では珍しい仏具と考えられます。須恵器から判断して、六世紀後半の築造で、七世紀前半〜中頃まで、追葬が行われていました。

石室正面

玄室奥壁

玄室奧から

玄室奧上部から

須田平野古墳 【管理人推薦】

 京丹後市久美浜町須田、湯舟坂2号墳から200m東の山裾に説明板が立っていて、そこから少し山を登った中腹にあります。説明板には全長22mの前方後円墳と書かれていますが、径16mの円墳とも言われています。横穴式石室はほぼ完存しており、全長9.78m、玄室長4.6m、幅1.96〜2.36m、高さ2.0m、羨道長5.2m、幅1.28mの両袖式で、入口付近は崩壊しています。出土品は不明ですが、湯舟坂2号墳に先行する六世紀中頃の首長墓と考えられています。

石室正面

羨道

玄室奧壁

玄室奧から

塚本古墳

 京丹後市久美浜町布袋野、上記の須田集落から府道706号線を南へ約2.5km。府道671号線との三叉路あたりから東を見ると、田圃の中に古墳が見えています。墳丘はほとんど失われていますが、径20mの円墳と思われます。横穴式石室は完全に露出状態。玄室長5.3m、幅1.3mの両袖式で、現在は薮に覆われて、内部も荒れ果てています。六世紀後半の築造と推定されています。

古墳の現状

奥壁側

側壁、左が入口側

石室内部

経塚古墳

 京丹後市久美浜町布袋野、上記の塚本古墳から西の山裾を見ると、説明板が見えています。これが経塚古墳で、農地整備で発見されましたが、現状保存されました。墳丘は完全に削平され、横穴式石室の基底部奧側だけが残っていました。残存長5.1m、幅2.3mの規模で、鉄製武器、馬具、須恵器が多量に出土し、須恵器の遍年から、六世紀末に築かれ、七世紀前半に追葬が行われたようです。玄室規模では湯舟坂2号墳に次ぐ大きさで、また、銀象眼が施された鍔が副葬されている点からも、首長クラスの墓と考えられます。ところで、説明板は、破壊されていて、まったく読めません。修復を希望します。

石室奧壁方向、奧の巨石も石材か?

石室奧から、遠方に塚本古墳が見える

茶臼ヶ岳古墳群

 久美浜町橋爪。茶臼ヶ岳古墳群は矢田八幡神社境内に1〜3号墳、北西に4号墳、久美浜高校南の尾根上の5号墳からなっていましたが、国道312号線改良工事の事前調査で5号墳周辺から新たに6、7号墳、8、9号墓が発見され、調査されています。5基は、細長い尾根上に階段状に築かれ、下から9、8、5、6、7号墳の順に並んでいます。9、8号墓はいずれも弥生後期の墳墓で9号墓は木棺2基、8号墓は3基を検出しました。5〜7号墳は古墳前期の古墳でいずれも墳丘は不明確。主体部は木棺、土器棺など複数あり、墳丘上に破砕された土器が置かれていました。この支群は弥生後期から古墳前期にかけての丹後地方伝統の墳墓を築き続けた一族の墓域といえます。

手前8号墳、左奧に9号墳

5号墳

6号墳

最高所にある7号墳


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