京都府京丹後市(旧峰山町・弥栄町)の古墳


湧田山古墳群

 1〜4号墳が府史跡。京丹後市峰山町丹波〜矢田にまたがる丘陵上に分布する42基からなる古墳群です。国道482号線沿いにある多久神社の本殿裏から登り道がありますが、かなりの急斜面なので、注意してください。尾根上に出ると、右側に1号墳があります。群中最大の全長100mの前方後円墳で、前方部は短小です。埴輪、葺石はなく、土器も出土していないので、築造年代は不明ですが、前期後半頃と考えられています。墳丘の下層からは弥生土器が出土しており、弥生期の遺跡の上に築かれたようです。左側にある2号墳は一辺14mの方墳、その奧、3号墳は全長39mの前方後円墳、4号墳は径7mの円墳です。

国道沿いにある多久神社

鳥居脇にある古墳群の標柱

1号墳、後円部側

2号墳

太田南古墳群

 京丹後市峰山町と弥栄町の境界付近に採石場があり、古墳群はその尾根上にあります。古墳時代初期〜前期の首長墓4基を含む25基からなりますが、2〜4号墳はすでに消滅しています。1993年に調査された5号墳は、尾根先端に築かれた19m×12mの方墳で、主体部は4基あり、そのうち、中央の組合せ式箱式石棺から青龍三年銘の方格規矩四神鏡(国重要文化財)が出土したことで有名です。

 

中央の尾根上が5号墳

5号墳中央の箱式石棺

5号墳出土の青龍三年銘銅鏡(説明板より)

5号墳の調査時の画像(説明板より)

赤坂今井墳丘墓

 国史跡。京丹後市峰山町石丸、峰山町と網野町を結ぶ谷筋にあり、府道網野峰山線に面しています。東西35m、南北37.5m、高さ4mの日本最大級の弥生墳丘墓で、西側を中世に5mほど削られています。墳頂に主体部6、墳丘周囲のテラスに小型の埋葬施設16が見つかっています。ほぼ中央にある第1主体部は14m×10.5mの巨大な墓坑に7m×2mの舟形木棺が納められていました。被葬者は三世紀前半頃、最初に埋葬された首長と思われ、弥生期の埋葬施設としては日本最大です。北側にある第4主体部は、第1主体部を一部破壊して築かれていて、7m×4.2mの墓坑に4.4m×1.3mの木棺が納められていました。棺内全体には赤色顔料が塗られ、特に遺骸周辺には水銀朱が厚く敷き詰められています。頭付近にはガラス製管玉・勾玉、碧玉製管玉で造られた宝冠がそのままの状態で残っていました。武器類が少ないことから、被葬者は女性と考えられています。この2基以外の主体部はすべて小規模です。

府道沿いにある

墳頂、6基の主体部を検出

巨大な第4主体部

第4主体部で見つかった宝冠

千束古墳群

 京丹後市峰山町石丸、赤坂今井墳丘墓の北隣りの尾根上にある7基からなる古墳群です。2007年に府道工事に先立ち、5、6号墳が調査されました。5号墳は径13mほどの円形の古墳で、5.2m×2.1mの墓坑に木棺が納められていたと思われます。頭部付近から神獣鏡1面と装身具が出土しました。五世紀前半の築造です。6号墳は尾根の下隣りにある一辺12mの方墳で、5.3m×2.3mの墓坑が掘られていました。須恵器、土師器が出土しています。六世紀前半の築造です。すぐ隣り同士なのに一世紀の隔たりがありますが、6号墳は、5号墳を壊すことなく築かれていて、一族の強い絆を感じます。

5号墳

6号墳

5号墳の神獣鏡出土状況

5号墳出土神獣鏡

桃谷1号墳

 京丹後市峰山町新治、新治集落から西へ入っていく小さな谷間の北側の山裾の農道を進むと古墳の説明板があり、そのすぐ後ろに石室があります。墳丘はすべて流失し、墳形は不明です。露出した横穴式石室は天井石がすでに失われていましたが、全長9.5m、玄室長4.86m、幅2m、高さ2.4m、羨道幅1.3mの両袖式です。石室内から大量、かつ豊富な副葬品が出土しており、築造時期は六世紀末〜七世紀初め頃と思われます。

石室正面

玄室奥壁

玄室奧から

羨道奧から


谷奥古墳群

 京丹後市弥栄町鳥取、府道53号線の南側、道の駅「丹後あじわいの郷」の東側の尾根上にある15基からなる古墳群で、2007年に府道の道路改良に伴い14基が調査されています。古墳には盛り土がほとんどなく、丘陵を削り出して階段状に整地する、丹後地方に特徴的な構造をしています。ほとんどが、1〜2基の埋葬施設をもつ個人の墓でしたが、うち、2号墳は最高所に位置し、9基の埋葬施設が検出され、共同墓地のような使われ方をしています。また、8号墳は、径20mの大型円墳で、10.5×4.2mの巨大な墓坑内に8.2m×1.7mの長大な割竹形木棺が据えられていました。唯一、鉄剣・鉄鏃が出土しています。10号墳は、小型の土器棺を4基検出し、子供専用の古墳と見られます。

階段状に連なる古墳群、麓から8〜3号墳、手前は11号墳

頂上にある2号墳、9基もの埋葬施設をもつ

10号墳の小さな埋葬施設、子供用?

8号墳、巨大な墓坑に割竹形木棺

黒部銚子山古墳

 府史跡。京丹後市弥栄町黒部、旧弥栄町の北端、竹野川が盆地から谷間へ突入する直前、東側の山裾にあります。丘尾切断型の前方後円墳で、全長105m、後円部径70m、高さ15m、前方部幅45m、高さ10m、二段築成で葺石、埴輪を持ちます。未調査のため、詳細はまったく不明ですが、埴輪の形態からは五世紀前半の築造と思われ、丹後の大型前方後円墳の中では最後に築かれた古墳です。保存状態が大変良く、墳丘がほぼ完璧に残っています。

国道から良く見えています

航空写真(説明板より)

ニゴレ古墳

 京丹後市弥栄町鳥取、道の駅「丹後あじわいの郷」すぐ西の府道53号線沿いにあります。弥栄町と網野町をつなぐ街道沿いの低い丘陵先端を整形して築かれた長さ20mの不整形墳で、背後の尾根とは13本の円筒埴輪列で区画しています。葺石、段築はありません。主体部は二段墓坑に舟形木棺を直葬しており、墳頂には写実的な船形、椅子形など多数の形象埴輪が置かれていました。また、甲冑一組や剣、鉄鏃などの副葬品が出土しています。五世紀中頃の交通を支配した豪族の墓と思われます。

丘陵先端を整形した墳丘

墳頂の平坦面


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