京都府京丹後市(旧大宮町)の古墳


谷内古墳群

 京丹後市大宮町谷内、国道312号線を野田川町から大宮町へ向かう途中の谷間、キッサベールの前で市道が右側へ分岐しています。この三叉路すぐ北側の山林内に墓地があり、墓地の範囲とほぼ一致して谷内古墳群3基が分布します。墓地の東端、国道のすぐ前(道路からは見えない)にある1号墳は径20mの円墳で、墳丘、横穴式石室ともほぼ完存しています。石室全長6.5m、玄室長5.4m、幅1.5m、高さ1.5m以上、羨道幅1.1mの左片袖式で、床は少し埋まっているようです。石材は不揃いで、側壁、天井には巨石を使用しています。墓地のほぼ中央にある2号墳は径20mの円墳ですが、中央が大きく陥没し、石材が散乱しています。墓地の西端にある3号墳も径18mの円墳で、中央が大きく陥没しています。1号墳の石室だけがなぜ破壊されなかったのか、理由はよくわかりません。

1号墳石室正面

1号墳石室内部

1号墳玄室奥壁

1号墳石室奧から

2号墳

3号墳

小林古墳群B支群

 京丹後市大宮町谷内、国道312号線のJA前の交差点から真東の谷間を奥に進み、休耕田を突き抜けて山林内に入ると、左側の尾根の上に1号墳が見えています。背面カットが明瞭に残る径11mの円墳で、横穴式石室が完存。玄室長4.3m、幅1.5m、羨道幅1.3mの右片袖式で、床が少し埋まっています。ところで、石室を実測された方、石室内に巻き尺忘れてますよ〜。

1号墳石室正面

1号墳羨道

1号墳玄室奥壁

1号墳石室奧から

 1号墳から小さな谷間を挟んで東側の斜面にも2、3号墳があります。北側の2号墳は径11mの円墳で、横穴式石室の天井石が完全に露出しています。内部はほとんど埋まっていますが、長さ4m以上、幅1mくらいの規模です。南側の3号墳は崖っぷちにあり、墳丘はほとんど流失、石室も崩壊して露出しています。

2号墳石室正面

2号墳奧側から

3号墳、崖っぷちに石室露出

3号墳玄室付近、天井石が落ち込む

大谷古墳

 京丹後市大宮町谷内の丘陵上にありましたが、工業団地造成に伴って調査後墳丘は消滅、現在は石棺だけが、(株)大宮日進の前の「大谷古墳公園女王の丘」に移築されています。石棺、出土品は市指定文化財です。平野を見下ろす丘陵上に築かれた全長32m、後円部径26mの中期前半の帆立貝式古墳で、中央部から組合せ式箱式石棺が見つかりました。内部からは保存状態の良い人骨一体分と、鏡、勾玉、ガラス小玉、剣、斧などが出土しています。人骨は鑑定の結果、40歳代の女性のもので、女性の首長墓として注目されました。なお、古墳の下層から、弥生中・後期の箱形木棺3、土坑墓3が見つかっています。

墳丘は規模を縮小して復元

移築された箱式石棺

石明神古墳

 京丹後市大宮町周枳、旧大宮町役場の東1km、府道657号線沿いにあります。封土が完全に失われ、かなり崩壊した横穴式石室が完全に露出。大宮売神社のお旅所として、石明神と呼ばれ信仰の対象となっています。

道路脇に石室が露出

石室内部

新戸古墳 【管理人推薦】

 市指定文化財。京丹後市大宮町奧大野奧大野公民館のすぐ西の小丘陵上にあります。古墳の南の道路に説明板がありますが、東の公民館側から回ったほうが楽にたどり着けます。平野を見下ろす丘陵先端に築かれた全長35m、後円部径21mの前方後円墳で、丹後最大級の巨大な横穴式石室が開口しています。羨道がかなり破壊されていますが、全長7.2m以上、玄室長6m、幅2.1m、高さ3.4m、羨道長1.2m以上、幅1.2mの両袖式で、奥壁のほぼ中央に、奥行き1.3mの巨大な石棚が構架されています。

石室開口部、すぐ前は崖っぷちです。

巨大な玄室

奥壁と石棚

奧から

小池古墳群

 京丹後市大宮町善王寺、北側の老人ホームおおみや苑から南側の大宮自然運動公園にまたがる独立丘陵上全域に分布するA〜F支群、87基からなる群集墳です。調査されたB支群は弥生中期の方形貼石墓2、前期末〜後期後半の地山整形の方墳4、階段状古墳7基と土坑墓群からなり、主体部は箱式木棺が中心です。老人ホームの建設でB支群はほとんど消滅しましたが、他の支群は未調査のままで保存されています。C支群16基の一部は大宮自然運動公園内にあり、見学可能ですが、尾根上には明確なマウンドが見られません。他に、テニスコートの東側にF支群6基、キャンプ場の北側にD支群16基、老人ホームの南にE支群27基、ため池の北側にA支群8基が分布します。なお、ここの発掘調査には花山院さんも参加されたようです。

C支群のある尾根筋

C支群、尾根上に古墳が一列に並ぶ、手前から1号墳

三本松1号墳

 京丹後市大宮町善王寺、老人ホームおおみや苑から道路を隔てた北側の独立丘陵の中央にあります。径15nほどの円墳で、頂上からやや南に下った斜面に背面カットで墳丘を築いています。封土はかなり失われ、横穴式石室が露出していますが、玄室天井石と羨道の半分が失われている以外は良好に残っています。全長9.9m、玄室長4.5m、幅1.6m、高さ2.4m、羨道長5.4m、幅1.3mの右片袖式で、石材は全体的に小型です。1954年に峰山高校(野村克也氏の母校)史学クラブによって調査され、副葬品とともに人骨が2〜3体分出土しています。七世紀前半の古墳と考えられ、南隣りの小池古墳群とは、明らかに性格を異にする古墳です。すぐ東の尾根上にマウンドがあり、2号墳とされていますが、古墳かどうか、ちょっと疑問です。なお、この丘陵には登り道がありませんので、素人さんは、ご注意を・・。

石室正面

玄室奥壁

袖部

玄室上から

大内北古墳群

 京丹後市大宮町森本、旧三重小学校の跡地の北東尾根上にあり、2010年に鳥取豊岡宮津自動車道の建設予定地にある1〜5号墳が調査されました。尾根の頂部に築かれた3号墳を中心にして三方向に1、2、4、5号墳が築かれていますが、3号墳以外は埋葬施設が見つからず、古墳ではありませんでした。3号墳は四世紀末〜五世紀初頭の24m×20mの円墳で、タイプの違う9基の埋葬施設が見つかりました。最初に造られた埋葬施設4は墳頂の中央にあり、くり抜き式木棺の痕跡がありました。その後次々と埋葬施設が造られ、1は竪穴式石室、2、3、5、6は組合せ式石棺ですが、規模が小さいため子供用と思われます。ほかに墓壙が3基見つかっています。埋葬施設1の頭の位置に、短剣とヤリガンナが置かれていました。

中央に3号墳、手前に5号墳

3号墳、手前に埋葬施設4、

3号墳埋葬施設1、竪穴式石室

3号墳埋葬施設2、赤色顔料が内部に残る

1、2号墳?

3号墳埋葬施設1出土の鉄製品


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