京都府京丹後市(旧丹後町)の古墳


願興寺古墳群 【管理人推薦】

 京丹後市丹後町宮、神明山古墳から府道を南西に行くと、すぐ南側の集落背後に低い丘陵が迫ってきています。この丘陵先端の広い範囲に中期の願興寺古墳群10基が分布し、うち1、3、5号墳で、3種類計4基のバラエティに富んだ石棺群を見学することができます。府道沿いの東端の集落から、尾根上の墓地へ登っていく途中の尾根筋先端に1号墳があります。一辺30mの方墳で、葺石、埴輪を持ちます。墳丘は大きく変形し、中央部の隙間から組合せ式箱式石棺の内部を覗くことができます。長さ1.9m、幅0.55mの内寸です。1号墳から尾根筋を登っていくと、未調査の6〜10号墳が並んでいます。

1号墳墳丘

隙間から覗いた箱式石棺内部

 1号墳の西300m、丘陵中腹に墓地があり、その後ろに2、3号墳が並んでいます。2号墳は墳丘がかなり削られていますが、一辺30mの方墳と考えられます。西となりの3号墳は、径25mの楕円形墳で、墳丘上に2基の舟形石棺が破壊されて散乱しています。墳丘の西側斜面に露出している1号石棺の身は1.64m×0.73mの大きさで、縄掛突起が残っています。斜面下方に、蓋の一部も転がっています。墳頂にある2号石棺の身は2.75m×0.66mの大きさで、1号よりは造りも規模も立派です。すぐそばに蓋が埋まっています。他にも1ヶ所、破片が埋まっています。

2号墳

3号墳墳丘と、1号石棺の身

3号墳1号石棺の身、加工は粗い

3号墳1号石棺の蓋の一部

3号墳2号石棺の身、1号よりは丁寧な造り

3号墳2号石棺の蓋

 3号墳の西50mにある4号墳は一辺35mの方墳で、埋葬施設は不明ですが、斜面に葺石が良好に残っています。すぐ北側の丘陵北西端にある5号墳は一辺45mの方墳で、墳頂に長持形石棺が露出しています。組合せ式の身は1.9m×0.68mで、組合せ用の加工が残されています。すぐそばに放置されている蓋は1.96m×1.1mで、破壊されていますが、内側のくり込みが良く残っています。

4号墳

5号墳

5号墳の長持形石棺の身の部分

5号墳石棺の蓋

神明山古墳 

 国史跡。京丹後市丹後町宮、丹後郷土資料館の南にあります。竹野川河口の旧潟湖に面して築かれた全長190m、後円部径129m、前方部幅78mの日本海側では網野銚子山に次ぐ大型前方後円墳です。保存状態の良い墳丘は三段築成で、埴輪・葺石が認められます。墳頂には扁平な凝灰岩が散乱していて、竪穴式石室の存在が予想されています。舟と人物をヘラ書きした埴輪片がかつて出土しています。四世紀末〜五世紀初頭の築造です。

 

馬場ノ内古墳石棺

 馬場ノ内古墳は、京丹後市丹後町間人の墓地造成中に凝灰岩製の長持形石棺が見つかり初めて認識された古墳で、墳丘はすでに削平されていました。石棺は現在丹後古代の里資料館に保存されています。石棺の蓋石は2.12m×0.65mの大きさで隅丸状、縄掛突起が6個付いていて、裏側は丁寧に加工されています。他に側石と底石の破片が残されていますが、なぜかコンクリートで造られた身の内部に置かれていて、隙間から覗くしかありません。御願いですから、ちゃんと見られるようにしてほしいです。なお、となりにも正体不明の石棺が置かれています。

長持形石棺の蓋、身はコンクリート

石棺内部、側石が詰め込まれている。外に出してくれ〜
  となりの正体不明の石棺

片山1号墳(片山古墳・蝙蝠の穴・本塚) 【管理人推薦】

 市文化財。京丹後市丹後町竹野、国道178号線をJAのところで東の小道に入り、すぐ左側の民家となりに1号墳があります。片山古墳群は3基からなりますが、見学できるのは1号墳の石室のみです。1号墳は封土が失われ、横穴式石室が露出しています。玄室長6.18m、幅2m、高さ2.64mの右片袖式で、羨道は破壊された上に、埋もれて良くわかりません。側壁には持ち送りが無く、玄室規模では丹後最大です。また、玄室の奥側の天井石が巨大で、家形石棺風に加工されているのは出雲の影響かも知れません。出土品が知られていないため、築造時期は未確定です。

石室正面側

石室奧側、天井石が大きい

玄室奥壁方向

玄室奧から

産土山古墳

 国史跡。京丹後市丹後町竹野、片山1号墳から道路をさらに進むと、小学校の隣りにあります。径54mの円墳で、葺石、埴輪を持ちます。1939年に村社再建の際に長持形石棺が発見され、調査されています。その後埋め戻されていましたが、1997年に再度調査され、蓋の長さ2.48mと判明しました。蓋は中央が丸く盛り上がり、短辺側に2個ずつ縄掛突起がついています。海を見下ろす丘陵上に築かれた中期の首長墓です。

墳丘はかなり大きい

現地説明板

大成古墳群

  海に面した古墳群の全景

 7〜9号墳が市指定史跡。京丹後市丹後町竹野、産土山古墳の北側に海に突き出た岬があり、その一帯に大成古墳群があります。元、宿泊施設が存在していましたが、現在は消滅して荒れ地となっています。13基からなりますが、このうち7〜9号墳の横穴式石室が露出しています。7号墳は径16mの円墳で、横穴式石室は全長10.2m、玄室長4.4m、幅1.9m、高さ1.9m、羨道幅1.3mの右片袖式、側壁はやや持ち送り、右袖石には巨石を立てていて、天井石は羨道の一石のみ残っています。羨道はハの字に少し開いていて、入口で墳丘の列石に繋がっています。六世紀末頃の築造ですが、長い期間追葬が行われていたようです。

7号墳の奥壁側

石室正面

玄室奥壁

玄室奧から

 8号墳は径16mの円墳で、横穴式石室は全長8.7m、玄室長4.5m、幅2.7m、高さ2.8mの両袖式、羨道は玄門部で幅1.4m、入口で2.4mとハの字に開いています。群中では最大の石室で、天井石は残っていませんが袖石の大きさ、石積みの堅固さが感じられます。七世紀初頭の築造で、やはり長期間の追葬が行われたようです。

石室正面、羨道がハの字に開く

玄室奥壁

玄室右側壁

玄室奧から

 9号墳は径16mの円墳で、横穴式石室は全長10m、玄室長5.9m、幅1.6m、高さ1.8mの細長い無袖式、玄室と羨道は側壁に埋め込まれた袖石で区画されています。群中、最後に築かれたと思われます。7〜9号墳は、築造時期や袖の形態などが異なり、一つの古墳群の中での石室の変遷を見ることができます。

石室正面

羨道、石材が落ち込んでいる

玄室奥壁

玄室奧から

高山12号墳

 京都府指定史跡。京丹後市丹後町徳光、府道碇網野線北側の丘陵上にある国営農地の北端に古墳公園として保存されています。高山古墳群は17基からなり、調査された11基のうちでは、12号墳だけが現地保存されました。径18mの円墳で、丹後でも最大級の横穴式石室は全長12m、玄室長5.9m、幅2.1m、高さ2.8m、羨道幅1.7m、高さ2mの右片袖式で、群中最大規模、側壁はやや持ち送り、羨道はややハの字に開きます。副葬品も豪華で豊富です。金銅製双龍環頭大刀柄頭、金環、勾玉、切子玉、刀、鉄鏃、鉄地金銅張辻金具、特殊遍壷須恵器などが出土しています。七世紀初頭の築造です。

石室形態と出土遺物

石室正面、石室内は埋められています

玄室奥壁方向

玄室奧から


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