兵庫県たつの市(旧龍野市)の古墳


大住寺群集墳

 旧龍野市神岡町大住寺〜奥村に分布する群集墳で、兵庫県遺跡地図には56基の古墳が記されています。皿池北側の野森稲荷神社境内には1、2号墳がありますが、1号墳の石室が露出しています。かなり破壊されていますが、玄室には組合せ式石棺がそのまま残っています。2号墳は鳥居の近くと思われますが、不明確です。

1号墳石室

玄室内の石棺

 グラウンドを挟んで西側の林の中に13〜56号墳の支群が分布しています。東半分の斜面は薮がひどく、探索が困難ですが石室が見学できる古墳は1基だけで、ほかは石材が露出する程度です。

石室の下側

19号墳石室下部露出

石室露出

大きな石材露出

石材露出

石材露出

石室の残る古墳、奥壁側

左の古墳の内部、奧から

 支群の西半分は、谷間の奧のほぼ平地になっていますが、石室の状態がよいのは1基だけで、ほかはやはり石材が露出する程度です。石室が残る1基は羨道は埋まっていますが、玄室は完存、幅1.5mくらいで奥壁は一枚石です。

石材露出

22号墳石室下部が残る

28号墳、石材散乱

唯一石室が残る1基

左の石室内、玄室完存

石材散乱する1基


狐塚古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 旧龍野市日山、県立龍野高校グランド北側にありますが、反対の山側の道路からすぐ行けます。径20mの円墳か方墳で、大型の横穴式石室が開口しています。全長9.68m、玄室長5.18m、幅2.06m、現高さ2.45m、羨道長4.5m、幅1.18m、現高さ0.96mの両袖式ですが、左の袖はほとんどありません。床面が1mほど埋まっていそうです。すぐ南側に後期前方後円墳の西宮山古墳がありましたが、高校グランド造成で消滅しました。

石室開口部、ほぼ完存

細長い羨道

奥壁、天井石は一部露出している

玄門部、ほとんど右片袖に近い


龍野小学校石棺

 旧龍野市龍野町上霞城の龍野小学校北東隅にあります。垣根が低いので、外の道路から見ることができます。1.5m×0.7mくらいの家形石棺の蓋石が一部破壊されていますが良好に残されています。小さな縄掛突起もついています。

 


中垣内古墳群 【管理人推薦】

 旧龍野市揖西町中垣内。東山の西斜面にある約20基からなる群集墳です。中央にある盟主墳の1号墳【市史跡】は径17mの円墳で市内最大の横穴式石室が完存しています。全長9.98m、玄室長4.2m、幅2.24m、高さ3.2m、羨道長5.78m、幅1.2m、高さ1.96mの両袖式で玄室は播磨でも最大級です。1号墳以外は石室が完存するものはなく、奥壁が残っているもの2基の他はほとんど石材が抜き取られています。帰り際、麓の畑で農作業をしていた地主さんに、空襲のときには1号墳の石室の中に逃げ込んだとか、麓の畑に土器がいくらでも落ちてるとか、いろいろ興味深い話を伺えました。

1号墳正面

1号墳開口部

玄室奥壁

玄門部

奥壁部が残った古墳

ほとんどの古墳が石材が抜かれている

奥壁部が残った古墳その2

側壁石材がわずかに残っている古墳


長尾薬師塚古墳 【管理人推薦】

 旧龍野市揖西町長尾の三寶荒神社の北側100mの東向き斜面にあります。最近まで雑木林の中に埋もれ、地元の一部の人にしか知られていませんでしたが、2000年度の調査で、保存状態の良い終末期古墳であることが判明しました。墳丘背後を大規模にカットして造られた一辺17mの方墳で、二段築成ですが、正面からは三段に見せています。横穴式石室が東向きに開口、全長3m、幅1m、高さ1.5mの無袖式で、墳丘の割には小型です。内部は切石を巧みに組み合わせて方形の空間を構築し、床には板石で石棺を作り付けています。すぐ近くに古代山陽道「布勢駅家」跡があり、その駅長クラスの墓ではないかと考えられています。古墳は現在、市内の中学生など地元住民のみなさんによって見学しやすいよう整備されています。(そのわりには案内板、説明板が一切ありませんが..)

正面より

石室開口部

奥壁、床に石棺の板石が残っている

奥から外


照円寺石棺

 旧龍野市揖西町佐江の照円寺境内にあります。家形石棺蓋石は縄掛突起が退化した新しい形式のもので、裏側に彩色の装飾があるらしいです。隣に石棺身から転用された手水鉢があります。


宝林寺石棺

 旧龍野市揖保町門前の宝林寺境内にあります。1.5m×0.7mほどの石棺底石がお寺の石庭の中に取り込まれています。一部欠けていますが、溝加工が明瞭に残っています。

何と、石庭に取り込まれています

溝加工も良く残っています


<ホームへ戻る>

 

inserted by FC2 system