東京都三鷹市・天文台構内古墳

築造時期がほぼ確定されました


天文台構内古墳(東京都三鷹市大沢二・国立天文台三鷹キャンパス内) 

 現地説明会2008年9月6、7日/三鷹市教育委員会、三鷹市遺跡調査会

 古墳時代終末期の武蔵国中枢部における首長墓は、資料が乏しいこともあって、これまであまり議論がなされてきませんでした。しかし、府中市の熊野神社古墳が2003〜2004年に発掘調査され、軟質凝灰岩の切石を使用した複室構造の横穴式石室を内部施設とする上円下方墳であることが分かりました。これを契機として、近隣の類似古墳である、天文台構内古墳の重要性がクローズアップされ、発掘調査が2004年から実施されてきました。墳丘の測量調査の結果では28.5m×27.1mの方丘の上に径18.2mの円丘が乗った上円下方墳で、コの字形に周溝が見つかっています。南側の溝は未調査です。今回、調査公開された主体部は三室構造の横穴式石室で、熊野神社古墳にある短い羨道は省略化されています。後室長2.5m、幅2.3m、高さ2.2m以上、中室長3m、前室長1.5m、の両袖式で、石室前に長さ3mのハの字に開いた墓前域が取りつく構造は熊野神社古墳とも共通します。墓前域は川原石積み、玄室は凝灰岩の截石切石組み、後室は胴張状です。前・中室は天井石が落下し、今回調査されて居ません。後室は、床面に川原石が敷き詰められ、袖石前から完形の須恵器が出土しました。編年では650〜675頃と見られ、古墳もこの時期に築造されたと思われます。同じ三室構造の石室を持つ八王子市・北大谷古墳、府中市・熊野神社古墳との比較では、ダウンサイジング、羨道の省略化の過程があきらかであり、北大谷→熊野神社→天文台構内という築造順が想定されます。後室には、巨大な天井石が1個落下したままになっており、今後、その下が調査されるそうです。

石室正面より

石室構造

玄門と、天井石が崩落した前・中室

モニターに映し出された後室の須恵器


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